現代啓蒙

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『無限の始まり』第1章「説明のリーチ」

『無限の始まり』要約記事 全体目次 第1章「説明のリーチ」(The Reach of Explanations)
第2章「実在に近づく」(Closer to Reality)
第3章「われわれは口火だ」(The Spark)
第4章「進化と創造」(Creation)
第5章「抽象概念とは何か」(The Reality of Abstractions)
第6章「普遍性への飛躍」(The Jump to Universality)
第7章「人工創造力」(Artificial Creativity)
第8章「無限を望む窓」(A Window in Infinity)
第9章「楽観主義(悲観主義の終焉)」(Optimism)
第10章「ソクラテスの見た夢」(A Dream of Socrates)
第11章「多宇宙」(The Multiverse)
第12章「悪い哲学、悪い科学」(A Physicist's History of Bad Philosophy)
第13章「選択と意思決定」(Choices)
第14章「花はなぜ美しいのか」(Why are Flowers Beautiful?)
第15章「文化の進化」(The Evolution of Culture)
第16章「創造力の進化」(The Evolution of Creativity)
第17章「持続不可能(「見せかけの持続可能性」の拒否)」(Unsustainable)
第18章「始まり」(The Beginning)

私たちの知識が何に由来するのか、という問題は知識論という哲学の一分野の最大のテーマです。 ポパーは科学と非科学の違いについて、「テスト可能性」が「境界設定基準」であるとし、帰納法を退け、反証主義と可謬主義に基づく方法論を確立しました。ポパーは同時に、「説明」が重要であるとも説いていました。

※各章の目次の英語部分は原書のものです。原書のタイトルもあるとわかりやすいと思ったので、掲載しました。

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知識の由来についての議論の始まり—経験論

科学の歴史の大半において、科学理論は、私たちが自らの感覚という証拠から「導き出して」いるという誤った理解がなされてきました。ジョン・ロック(John Locke,1632-1704)は「心は『白紙』のようなもので、感覚的経験はそこに書き込まれていき、そこからわれわれは現実世界に関するあらゆる知識を導き出す」と主張しました(『人間知性論』(1689)での議論)。そうした哲学上の学説は「経験論」として知られています。しかし現実には、科学理論は何かから「導き出される」のではありません。私たちが自然から「読み取る」ことも、自然が私たちに「書き込む」こともありません。科学理論は、大胆な推量に他なりません。既存のアイデアをより良いものにしようという意図をもち、人間の心がそれらを整理し直し、組み合わせ、変更し、追加することによって、科学理論は生み出されます。経験は必要ですが、その主な用途はすでに推測されている複数の理論のなかから選択することです。科学理論は推測であり、経験は複数の競合理論から選択する上で意味をもつという事実は、20世紀中ごろにカール・ポパー(Karl Raimund Popper, 1902-1994)の研究が世に出るまでは正しく理解されていませんでした。

歴史的には、私たちが知るような実験科学をはじめて弁護したのは経験論でした。経験論の立場を取る哲学者たちは、聖職者や学者といった人間や、聖典などの古代の書物といった権威に服従することを拒否しました。また、伝承や不正確な経験則、聞き伝えを信じるといった、伝統的な知識獲得方法も否定しました。経験論はまた、「感覚は誤りの源なので無視するべき」という根深い考え方も否定しました。経験論者は新しい知識を得る方向性を志向していました。これは、あらゆる重要なことはすべて決まっていると考える中世の運命論とは対照的です。

経験論は、科学的知識の起源については間違っていましたが、哲学と科学史における偉大な一歩でした。

 

経験論の論理付けの試み、その失敗

しかし、経験論者は「経験したことがないものについての知識を、経験したことがあるものについての知識からいったいどうやって”導き出せる”のか?」という懐疑的な人々からの指摘には十分に答えられませんでした。

一般通念としては「繰り返し」が重視されてきました。これによれば、私たちは「同じ状況にあればかならず、その経験をする、あるいはおそらくする」という理論を「導き出す」とされています。したがって、人は過去の経験や出来事から、未来に関するより信頼性の高い知識を得られる、つまり、個別の知識から、一般的な知識を得られるといいます。このようなプロセスは「帰納的推論」あるいは「帰納法」とよばれます。科学理論とは帰納法で得られると主張する学説は、帰納主義とよばれます。

帰納主義者の一部は、その論理の飛躍を埋めるために、「帰納原理」が存在すると主張します。帰納原理として有名なのは「未来は過去に似ている」というものです。また「遠くは近くに似ている」「見えないものは見えるものに似ている」という言い方もあります。実験から科学理論を得るのに実際に役立つ「帰納原理」を打ち立てた人はいません。歴史的には、帰納主義に対する批判は、そうした原理が打ち立てられないことに向けられてきました。しかし、そうした批判のやり方は帰納主義を甘やかしています。帰納原理を打ち立てることはできません。

天体物理学が対象とするのは、私たちが空を見たときに見えるもの、ではなく、恒星とは何か、つまりその組成、光り輝く理由、形成プロセス、そして恒星形成の原因となる普遍的な物理法則です。そのほとんどは、これまでに観測されたことはありません。物事がどのように見えるかという予測は、物事がどのような状態にあるかという説明から導き出されます。そのため帰納主義では、私たちがどのようにして恒星や宇宙が何であるかを理解し、それが単なる空の点とは違うと知っているのかという問題にすら答えられません。

帰納主義の原理と目されている「未来は過去に似ている」あるいはそれと類似の主張もまた、間違っています。現実には、未来は過去に似ていません。見えないものは見えるものとはかなり違います。科学は、それまでに経験されたことのない現象を予測します。たとえば1945年以前には核分裂による爆発を見た人はいませんでした。しかし核分裂による爆発と、その起爆条件は正確に予測されていました。

帰納主義は誤りです。そして、帰納主義が誤りであれば、経験論も誤りであるはずです。

 

経験論は偽りの権威を生み出した

経験論は、伝統的権威を排しました。しかし、科学を権威から開放するという目的を達成することはありませんでした。経験論は二つの偽りの権威を打ち立ててしまっています。一つは感覚的経験、もう一つは、経験から理論を抽出するために用いることを想定した、帰納法などの「導出プロセス」です。

知識が信頼できるものであるためには権威が必要だという考え方は、いまだに広く行き渡っています。知識論の授業の多くでは、知識とは「正当化された真なる信念」だと教えています。ここで「正当化された」というのはある種の権威筋あるいは知識の基準に照らしたうえで「真である」と見なされるという意味です。そうなると「われわれはどうやって〜を知るのか」という疑問は「どの権威に照らしたうえで、われわれは〜と主張するのか?」と変形されます。この形の疑問は、他のどんなアイデアよりも、多くの哲学者の時間と労力を浪費してきました。それは、真実の探求を、確かさ(これは感情の問題)の探求、あるいは承認(社会的地位)の探求へと変えてしまいます。この誤解は「正当化主義」と呼ばれます。

一方で、権威ある知識の源も存在しないし、アイデアが真である、または確からしいと正当化するための信頼しうる手段も存在しないという認識は「可謬主義」と呼ばれます。可謬主義者は、自分たちの最善かつ最も基本的な説明にさえ、真実だけでなく、誤解が含まれていると考えます。そして、そうした説明を良い方向へ変えようと努力する傾向にあります。
可謬主義の論理は、過去の誤解を修正しようとするだけでなく、現在は誰も疑問に感じていない、あるいは問題だと気づいていないけれども実際には誤ったアイデアを、将来的に発見して、変えたいと考えることです。限りない知識の成長の開始、すなわち無限の始まりにとっては、単なる権威の否定ではなく、可謬主義が不可欠なのです。

 

鍵は「権威への抵抗」か?

私たちの祖先は夜空を見上げ、星と私たちの関係を理解したいと考えたことでしょう。また、暮らしのあらゆる側面において進歩する方法を知りたいとも考えたでしょう。場合によっては、そうした宇宙レベルの基本的現象と実用レベルの進歩に関係があることに気付くこともあり、そうした中で私たちの祖先は神話を作りました。しかし、その内容は真実には似ていません。私たちの祖先は、進歩するために知識を創造したいと考えたものの、方法がわからなかったのです。

その時代が、人類の先史時代のごくはじめから数世紀前まで続きました。その後、新しくて力強い発見と説明の様式が登場し、後に「科学」と呼ばれるようになります。科学の登場は「科学革命」と呼ばれます。科学は著しい速度で知識を創造することにほぼ即座に成功し、その速度は加速し続けています。

科学革命以前には失敗していた現実世界の理解に、科学が効果的だったのはなぜでしょうか。この時代にはじめて行われたことで、効果を生み出したのは何だったのでしょうか。 この疑問に対する答えは多く出されましたが、これまでにこの問題の核心に届いているものはありませんでした。

科学革命は、「啓蒙運動」という、より幅広い知的革命の一部でした。この啓蒙運動は他の分野、とりわけ倫理学と政治哲学、社会制度において顕著な影響を及ぼしました。「啓蒙運動」は学者によってさまざまに解釈されましたが、いくつかある啓蒙運動の概念すべてに共通するのは、それが「抵抗」、特に知識に関する権威への抵抗だったことです。

知識に関する権威を否定することは、抽象的な分析の問題ではなく、進歩のための必要条件でした。というのは、啓蒙運動以前には、知りうる重要なことはすべて発見し尽くされ、古文書や伝統的な仮説といった権威ある知識の源に納められていると広く信じられていたからです。こうした知識の源は、一部に正しい知識を含んでいるものもありましたが、多くの誤りを伴うドグマという形で確立していました。したがって、進歩はこうした権威を否定する方法を学ぶことにかかっていました。世界最古のアカデミーの一つであり、1660年にロンドンに設立された王立協会が「nullius in verba(誰の言葉も権威としない)」をモットーとしたのはそのためでした。

 

鍵は「批判の伝統」あるいは「テスト可能性」か?

しかし、啓蒙運動において効果があったのは、権威への抵抗そのものではありませんでした。歴史的には権威が否定されることは何度もあったのです。しかし、普通はその後に新しい別の権威が入れ替わるだけでした。啓蒙運動で顕著だったのは、「批判の伝統」でした。啓蒙運動以前はそれは非常に稀な習慣で、一般的には物事を同じ状態に保つことが重要とされていました。したがって啓蒙運動とは、知識を探し求める方法についての革命でした。そのために、権威に頼らずに知識を得ようとしたのです。経験論が科学の仕組みという概念においては根本的に間違っていて権威的であったにもかかわらず、非常に有益な歴史的役割を果たしたのはこうした前後関係があったからです。

この批判の伝統によって生じた結果として、科学理論は「テスト可能」でなければならないとする方法論上のルールが生まれました。すなわち、科学理論が誤りなら、その理論が立てる予測は、実施可能な観測の結果から反論できるということです。したがって、科学理論は経験から導き出されないものの、経験(すなわち、観測または実験)によってテストできます。たとえば、かつて化学者は、元素変換は不可能だと考え、多くの実験でそれを確かめていました。やがてラザフォード(Ernest Rutherford, 1871-1937)とソディ(Frederick Soddy, 1877-1956)が、ウラニウムは自然に他の元素に変換するという、大胆な予測を行いました。そして二人はウラニウムを入れた密封容器内でラジウム元素が生成されることを実証します。それまで支配的だった理論が反証できたのは、以前の理論がテスト可能だったから、つまりラジウムの存在を検証することが可能だったためです。あらゆる物質は土、空気、火、水の4つの元素の組み合わせで構成されているという古代の理論は、テスト不可能です。この説には、そうした元素の存在をテストする方法が何一つ含まれていないためです。啓蒙運動は、根本においては哲学上の変化でした。

ガリレオ・ガリレイGalileo Galilei, 1564-1642)は、おそらく実験テストの重要性をはじめて理解した人物であり、「自然の書物を読む」ことと勘違いされがちな、他の種類の実験や観測と区別しました。ガリレオは実験によるテストを、厳しい試練による吟味を意味する「チメント」と呼び、他の種類の実験や観測とは区別していました。テスト可能性は現在は科学的手法を定義づける特徴として広く受け入れられており、ポパーはこれを科学と非科学の「境界設定基準(criterion of demarcation)」と呼びました。

 

「テスト可能性」では不十分

とはいえ、テスト可能性が科学革命の決定的要因だったわけではありませんでした。一般に言われるのとは逆に、テスト可能な予測はそれ以前からずっと、きわめてありふれたものでした。たとえば「次の火曜日に太陽が昇る」と予言する自称預言者にも、「何だか今夜はついている気がする」というギャンブラにも、テスト可能な理論があります。では、科学にはあって、預言者やギャンブラーのテスト可能な理論にはない、進歩を可能にする不可欠な材料とは何でしょうか。

科学において理論がテスト可能というだけでは十分でないのは、理論による予測が科学の目的ではないし、目的とすることもないからです。奇術を見る観客を例に考えます。観客が直面している問題は、科学的問題と論理の点でかなり似ています。いずれの場合でも、見た目がそのまま説明になっているわけではありません。奇術の説明が目で見てはっきりわかってしまえば、奇術になりません。同じように、物理現象の説明が見た目ではっきりわかるようなら、経験論は事実であり、私たちが知っている形での科学は不要となります。

奇術を何度も見れば、私たちはそのショーの結果を予想できるようになります。しかし、それはその奇術の仕組みという問題に取り組んでいません。もちろん解いてもいません。その問題を説くのに必要とされるのは説明です。この説明は、見た目を説明する、実在についての言明です。

 

説明を必要としない「道具主義」という考え方 

奇術の仕組みを知りたいなどと思わず、ただそれを面白がる人々もいるかもしれません。同じように、20世紀は、多くの哲学者が、そして多くの科学者も、科学には実在について何かを発見する能力はないという立場を取っていました。経験論から出発した議論は、科学が有効な形で行えるのは観測結果の予測までであり、科学はその観測結果を引き起こす実在を記述するものと称するべきではないということです。この考え方は「道具主義」と呼ばれています。

道具主義は、「説明」の存在を完全に否定します。その考え方は今でも非常に影響力があります。いくつかの分野(統計分析など)では、「説明」という言葉自体が予測を意味するようになっており、数式が一連の実験データを「説明する」という言い方をします。彼らの中では、「実在」には、その数式によって近似される「観測データ」という意味しかありません。そこには、実在そのものについて主張するための用語はなく、あるものは多分「便利なフィクション」です。

道具主義は、「実在論」を否定する数多くの考え方の一つです。実在論とは、物理的世界は実際に存在し、合理的探求が行えるとする、常識的で事実に反しない学説です。実在論をいったん否定してしまうと、論理的な意味合いとしては、実在についてのあらゆる主張は神話と等しくなり、いかなる客観的な意味においても、ほかの主張より優れた主張は存在しないことになります。これは「相対主義」です。相対主義とは、特定の分野における言明が客観的に真または偽ということはありえず、よくても文化的基準あるいはほかの恣意的な基準に対して相対的に判断されるだけだという学説です。 

道具主義は、科学を人間の経験に関する言明に格下げするという、哲学上の大罪を犯しています。しかしそれだけでなく、その定義自体が意味をなしていません。なぜなら、純粋に予測的で、説明を必要としない理論などというものは存在しないからです。

 

経験則も説明を伴う

知られていて、かつ議論にならない知識を「背景知識」といいます。予測的理論で、説明に背景知識しか含まれないようなものは、「経験則」と言われます。背景知識は通常、当たり前のものと考えられているので、経験則は説明を伴わない予測に思えるかもしれませんが、それは常に幻想です。

私たちがそれを知っていようといまいと、経験則が機能する理由は、かならず説明がつくものです。自然のなかの規則性に説明があることを否定するのは、事実上、超常現象を信じることと同じです。つまり、「それは奇術じゃない、本当の魔法なのだ」と言うようなものです。また、ある経験則が通用しない場合についても、かならず説明があります。一般に経験則というものは偏狭です。よく知っている狭い範囲の状況にしか当てはまりません。たとえば、コップとボールの手品に、通常と違う要素が導入されれば、私が先ほど述べた経験則が誤った予測をしがちになります。ボールではなく、火を灯したろうそくで同じ奇術ができるかどうかは、先ほどの経験則からはわからないのです。しかし、その奇術の仕組みについての説明があれば、できるかどうかは判断できます。 

 

問題=相反するアイデアを経験する状況

実験的テストの本質は、問題となっている点について、見たところ現実味のある理論が少なくとも二つ知られている場合に、それらについて実験によって区別可能な、相反する予測を行うことです。相反する予測が実験と観測の好機になるのと同様に、広い意味での相反するアイデアは、あらゆる合理的な思考や探求の好機になります。たとえば、私たちが何かについて知りたがるのは、既成のアイデアではその何かの理解や説明に不十分だと考えているという意味です。相反するアイデアを経験するような状況を、私は問題と呼びます。問題を解くということは、不一致のない説明をつくり出すことを意味します。

もともと「支えのない物体は落ちる」とか、「光には燃料が必要で、それはゼロになることがある」という予想(つまりは説明)があり、そうした予想が、星がずっと光り続け、落下することもないという、見えているものの解釈(これも説明)と矛盾しているという状況がなければ、誰も「星とは何か」という疑問を抱かなかったでしょう。この場合、間違っていたのは解釈のほうでした。実際には星は自由落下しているし、燃料も必要です。しかし、そうなる理由を発見するには、かなりの推量と批判、そしてテストが必要でした。

問題というのは、観察なしで、純粋に生じることもあります。たとえば、ある理論が、私たちが予想していなかった予測を行うという問題があります。予測は理論でもあるのです。同様に、物事の今ある状態(私たちの最善の説明に従う)が、あるべき状態(つまり、それがどうあるべきかという私たちの現行の基準に従う)と一致しない場合には、問題となります。

理論は互いに相反することもありますが、実在が相反することはないので、あらゆる問題の存在は、私たちの知識が不完全または不正確だということを示唆しています。私たちの誤解は、観測している実在、あるいはその実在と私たちの知覚の結びつき方、あるいはその両方についてでしょう。

 

神話は「テスト可能な説明的理論」だ

しかしテスト可能な説明的理論でも、進歩がない状態とある状態の違いを生み出した決定的要因とはなりえません。そうした理論も、昔から一般的だったからです。古代ギリシャ神話は、季節を説明しています。

遠い昔、冥界の神であるハデスは春の女神ペルセポネを略奪して妻とした。そこでペルセポネの母である大地と農業の女神デメテルは、ペルセポネを取り戻すため、年に一度は冥界のハデスを訪れることを余儀なくさせる魔法の果実を食べさせる取り決めを行った。ペルセポネが地下の国にいる間、悲しみにくれたデメテルは、世界に対して寒くなるよう命じた。

この神話は、完全な誤りですが、季節の説明にはなっています。その説明は、冬という経験をもたらす実在について主張しています。それはまた、テスト可能だという点でも抜きんでています。デメテルが定期的に悲しむことが冬の原因なら、冬は地球のあらゆる場所で同時にやってくるはずです。したがって、デメテルが悲しみの最中にあるとされていたまさにその時期に、オーストラリアでは植物が育つ暖かな季節になることを古代ギリシャ人が知っていたら、季節についての自分たちの説明は何か間違いがあると推測したはずです。

しかし数世紀のあいだに、神話は変化したり、ほかの神話に取って代わられたりはしても、新しい神話が真実に近づくことはほとんどありませんでした。なぜでしょうか。

スカンジナビア地方の神話では、春の神フレイは寒さと暗闇の力に対して、永遠の戦いを続けており、そうしたフレイの戦況が絶えず変わることで、季節が生じるとされていました。フレイが勝てば地球が暖かくなり、負ければ寒くなるのです。

ペルセポネ神話とフレイ神話は、実際にある季節の原因について、根本的に矛盾する内容を主張しています。しかし、誰も二つの神話の長所を互いに比べたうえで、どちらかを選択したわけではないはずです。それは、二つの神話を区別する方法はないからです。どちらの神話にもある、役割を簡単に置き換えられる部分を全て無視すれば、どちらの場合にも残るのは「神々がそれを行った」という、同じ基本的な説明です。

こうした神話がとても簡単に変更できるのは、それらの細かい部分が、現象自体の細かい部分とほとんど関連していないからです。結婚の取り決めや魔法の果実、あるいはペルセポネやハデス、デメテル、フレイといった神々を具体的に考えたところで、そうした細かい部分は、なぜ冬になるのかという問題にはまったく対処していません。さまざまな異なる理論が、説明しようとしている現象を同じようにうまく説明できる場合、そのなかの一つが他よりも良いと考える理由はありません。

 

神話は「悪い説明」だ

ペルセポネについての説明を少し変えれば、緑色の虹がかかるような季節もうまく説明できます。あるいは季節が一週間に一度めぐってきたり、規則性もなく突然起こったり、まったく起こらなかったりすることも説明できてしまいます。迷信を信じるギャンブラーや、終末論を唱える預言者も同じです。彼らは、その理論が経験によって反証されると、新しい理論に切り替えます。しかしその根底にあるのが悪い説明なので、彼らはその説明の本質を変えることなく、新しい経験を簡単に受け入れることができます。ある説明が、特定の分野では何でも簡単に説明できるのなら、それは実際には何も説明していないのです。

一般的に、ここまで説明してきたような意味で理論が簡単に変更可能である場合、実験的テストを行っても、その理論の誤りを修正するにはほとんど役立ちません。私はそうした理論を「悪い説明」と呼びます。

良い説明の探求は、科学だけではなく、啓蒙運動全般の基本的な調整原理であると、私は考えています。良い説明の探求は、知識に対する啓蒙主義のアプローチを、他のアプローチから区別する特徴であり、私が議論してきた科学的進歩のための他のあらゆる条件を暗示しています。つまり、予測だけでは不十分だということを、簡単な形で暗示しているのです。良い説明の探求は、批判の伝統の必要性も暗示しています。さらには、方法論的な規則(「実在の基準」)も暗示しています。すなわち、特定のものが現実であると結論すべきなのは、それが何かについての最善の説明にかかっている場合だけなのです。

 

良い説明であることは科学理論の必要条件

啓蒙運動や科学革命の先駆者たちは、直接そのように言っていませんが、良い説明を探求することは当時の時代精神でしたし、それは今でも変わりません。彼らは良い説明の探究によって、思考をはじめました。良い説明の追求を系統だって行ったのは、彼らがはじめてでした。良い説明の探究こそが、あらゆる種類の進歩の速度に、非常に大きな効果を及ぼしたのです。これまでの神話と科学の違いについての記述のほとんどは、テスト可能性の問題を重視しすぎていました。

科学においては、数のうえでは圧倒的に多い間違った理論を、実験をせずに、悪い説明というだけですぐに却下してかまいません。そうでなければ、科学というものは不可能です。

良い説明は、際立って単純であるか、エレガントであることが多いものです。また、悪い説明として一般的なのは、必要以上の特性や恣意性を含む説明であり、それらを取り除けば良い説明が生まれることもあります。ここから生まれたのが、オッカムの剃刀」として知られる誤解です(この名称は14世紀の哲学者ウィリアムのオッカムにちなんでいるが、考え方自体は古代からある)。オッカムの剃刀とは、人はいつでも「最も単純な説明」を探求すべきだという考え方です。その言明の一つには、「必要以上に前提を増やすべきではない」というものがあります。しかし、非常に単純な説明でも、変更が簡単にできてしまうものは数多くあります(「デメテルのしわざである」という説明など)。たしかに「必要以上」の前提は明らかに理論の質を落とします。しかし、ある理論にとって何が「必要」かについては、多くの誤ったアイデアが存在してきました。たとえば道具主義では説明自体を不要としています。第12章で議論するように、ほかの多くの悪い科学哲学でも同じように考えています。

最善の説明とは、既存の知識に大きく束縛される説明であり、そうした知識には、他の良い説明だけでなく、説明すべき現象についての他の説明も含まれます。

 

良い説明に備わる性質 

自転の傾き説は良い例です。この説はもともと、太陽の高度角が一年間で変化するのを説明するために提案されたものです。熱と回転する物体についての少しの知識を組み合わせることで、それは季節の説明になりました。さらに修正を加えなくても、季節が北半球と南半球で逆になっている理由や、熱帯地方には季節がない理由、そして極地方では夏の真夜中に太陽が輝く理由も説明しています。これら三つの現象について、自転軸の傾き説の創造者はおそらく気付いていませんでした。

説明のリーチは、「帰納原理」ではありません。説明のリーチは、説明の創造者が、説明を見つけたり、正当化したりするために使えるものではなく、創造的プロセスの一部ではないのです。説明を見つけてからでなければ、説明のリーチには気づきません。ずっと後になってから気づくこともあります。つまり、それは「外挿」や「帰納」といった、理論を「導き出す」方法とされるものとは関係がありません。むしろまったく逆です。季節の説明が、その創造者の経験のはるか外まで及ぶのは、まさにそれが外挿される必要がないからです。説明というのは本質的に、創造者がはじめて思いついたときにはすでに、地球のもう一つの半球で、そして太陽系全体、ほかの惑星、さらには別の時間で、適用されているのです。

説明のリーチは、説明自体の内容によって決まります。説明が良いほど、そのリーチはより厳密に決定されます。ある説明を変更するのが難しいほど、異なるリーチをもつ依然として説明として成り立つような別の説明を特に作りだすのは難しいからです。私たちは、火星でも重力の法則は地球と同じだと予想します。それは重力の説明として現実的なものはただ一つ、アインシュタイン一般相対性理論しか知られておらず、それが普遍的な理論だからです。しかし私たちは火星の地図が地球の地図と似ているとは予想しません。地球がどう見えるかについての私たちの理論は、優れた説明ではありますが、ほかの天体の見た目に対するリーチはないからです。ある状況のさまざまな側面のうち、どれがほかの状況に「外挿」できるかについては、常に説明的理論からわかります。普通は外挿できる側面はほとんどありません。

 

経験則について語ることも説明で有意義となる

説明的でない形式の知識、たとえば経験則や、遺伝子に内在する生物学的適応のための知識のリーチについて語ることにも意味があります。しかし、それがどんな種類なのかは、なぜその経験則が通用するのかという説明がなければわかりません。

良い説明の探求が行われなかった古い時代の思潮では、誤りや誤解を修正するための、科学のようなプロセスが認められていませんでした。進歩はまれにしか起こらなかったため、ほとんどの人はそれを経験することもありませんでした。アイデアには長いあいだほとんど変化が起こりませんでした。悪い説明であれば、たとえそのなかでは最善の説明であっても、普通はリーチがほとんどなかったので、その昔からの用途以外では(ときにはそうした用途の範囲内でも)脆弱で信頼できませんでした。

 

説明は「無限の始まり」か

科学、より広義には私が「啓蒙運動」と呼ぶものの登場は、そうした変化のない、偏狭な思想体系の終わりの始まりだったと言えます。それによって、人間の歴史に現在の時代が始まったのです。それは、広がり続けるリーチのある知識を、持続的かつ急激に創造するという点では、他に類を見ない時代です。多くの人は、これをどこまで続けられるのか疑問に思いました。

それは、本質的に有限なのでしょうか。あるいは「無限の始まり」なのでしょうか。つまり、そうした方法には、さらなる知識創造のための無限の可能性があるのでしょうか。あるいはまた、説明という、脳のなかで生じる、見たところは取るに足らない物理的プロセスについて、宇宙的枠組みで何か重要なことがあるのでしょうか? 第3章でこの問題について考えますが、その前に第2章では理論と実在の関係について考えを述べます。

 

用語解説

説明(Explanation):そこにある事物と、その振る舞い、そしてその方法と理由に関する言明。

リーチ(Reach):説明がもつ、その説明が本来解こうとしていた問題を超えた問題を解ける能力。

創造力(Creativity):新しい説明をつくり出す能力。

経験論(Empiricism):われわれがあらゆる知識を感覚的経験から導出しているとする、誤った考え。

理論負荷性(Theory-laden):「ありのままの」経験などというものはない。この世界でのわれわれの経験はすべて、意識的および無意識的な解釈という層を通過してくる。

帰納主義(Inductivism):科学理論は、繰り返し得られる経験の一般化または外挿によって獲得されるのであり、ある理論が観測によって確かめられることが多いほど、その理論はより本当らしくなるとする、誤った考え。

帰納法(Induction):帰納主義における、存在しない「獲得」のプロセス。

帰納原理(Principle of induction):「未来は過去に似ている」というアイデアが、未来についてのあらゆることを主張するという誤った考え。

実在論(Realism):〔知覚できない〕物理的世界は現実に存在し、その世界についての知識も存在するという考え。

相対主義(Relativism):言明が真か偽かの判断は客観的に行うことはできず、文化的あるいは恣意的な基準との関連でのみ判断できるとする、誤った考え。

道具主義(Instrumentalism):科学は実在を記述することはできず、観測結果を予測するだけだとする、誤った考え。

正当化主義(Justificationism):知識は、何らかの権威筋または基準によって正当化されてはじめて、真正なもの、あるいは信頼できるものになりうるとする、誤った考え。

可謬主義(Fallibilism):権威ある知識の源はなく、また知識を真、あるいは確実らしいとして正当化する、信頼できる手段もないとする認識。

背景知識(Background klowledge):よく知られていて、現在は議論の余地のない知識。

経験則(Rule of thumb):純粋に予測的な理論(説明的内容がすべて背景知識からなる理論)

問題(Problem):問題は、複数の考えのあいだに矛盾が生じる場合に存在する。

良い説明/悪い説明(Good/bad explanation):説明対象とされるものの説明を続けながら、変更を加えるのが難しい/簡単な説明。

啓蒙運動(The Enlightenment):批判の伝統をもって知識を得ようとし、権威に頼る代わりに、良い説明を探求する方法(の始まり)。

小啓蒙運動(Mini-enlightenment):短命に終わった批判の伝統。

合理的(Rational):良い説明を探求することによって問題を解決しようと試みること。既存のアイデアと新しい提案の両方に対する批判を行うことによって、誤りを積極的に修正しようとすること。

西洋(The West):科学、理性、自由という啓蒙運動の価値観の周辺で育ってきた、政治、倫理、経済、知性の文化。

 

 

 

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書評

ドイチュの本は本当に要約するのが難しいと思います。一見、ここは削って良いかな?と思う箇所も、よく読むとユニークなことを言っており、それが全体の説明の一部になっています。要約を書くときはジェンガから恐る恐る引き抜くような気持ちになります。

 

さて、ドイチュは第1章『説明のリーチ』を通して、知識創造が開始された決定的要因は「良い説明」の探求であったと結論づけました。「良い説明」こそが啓蒙運動全体のキーであり、可謬主義や実験的テストや実在の基準も「良い説明の探究」から要請される帰結であると論じています。私たちが科学や哲学に出会う入り口には、かならず「問題(=相反するアイデアを経験する状況)」があるということも強調しています。経験論や正当化主義への批判、「批判の伝統」の重要性の指摘、問題の意味などの議論は、ポパーに丁寧に沿っています。

なお、2018年のインタビューにて、ドイチュは「知識(knowledge)」を「因果関係のある情報(information that has a causal power)」であると、定義を更新したと言います。この定義は、知識を、人間の意識の問題と切り離すだけでなく、明確に物理学的に定義していると言えると思います。

ドイチュの以上の明快な整理は知識論の前進だと考えますが、いかがしょうか。

その他

チメント(cimento)について。ガリレオ・ガリレイの弟子だったヴィンチェンゾ・ヴィヴィアーニ(Vincenzo Viviani)は1657年にアカデミア・デル・チメント(Accademia del Cimento)を設立しましたが、これは伝統的な論理を重視したアカデミアではなく、初の実験に基づいたアカデミアでした。当初はAccademia delee esperienzeと名付けられていましたが、1666年にAccademia del Cimentoへ改名しました。アカデミア・デル・チメントのモットーは"try and try again"(Provando e riprovando)でした。チメンターレ(cimentare)とは「金から24純金を作る」を意味する動詞だそうです。

https://www.facarospauls.com/apps/florence-art-and-culture/4269/cimento.jpg

Lorenzo Magalotti編"Essays of natural experiences made in the Accademia del Cimento"(Saggi di naturali esperienze fatte nell'Accademia del Cimento),1666 表紙

画像は https://www.facarospauls.com/apps/florence-art-and-culture/4269/accademia-del-cimento より

木本忠昭, シルヴァーナ・デ・マイオ ,「科学アカデミーの発祥」,学術の動向, 2007, 12 巻, 3号, p.78-84