『無限の始まり』第1章「説明のリーチ」
私たちの知識が何に由来するのか、という問題は知識論という哲学の一分野の最大のテーマです。 ポパーは科学と非科学の違いについて、「テスト可能性」が「境界設定基準」であるとし、帰納法を退け、反証主義と可謬主義に基づく方法論を確立しました。ポパーは同時に、「説明」が重要であるとも説いていました。
※各章の目次の英語部分は原書のものです。原書のタイトルもあるとわかりやすいと思ったので、掲載しました。
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- 知識の由来についての議論の始まり—経験論
- 経験論の論理付けの試み、その失敗
- 経験論は偽りの権威を生み出した
- 鍵は「権威への抵抗」か?
- 鍵は「批判の伝統」あるいは「テスト可能性」か?
- 「テスト可能性」では不十分
- 説明を必要としない「道具主義」という考え方
- 経験則も説明を伴う
- 問題=相反するアイデアを経験する状況
- 神話は「テスト可能な説明的理論」だ
- 神話は「悪い説明」だ
- 良い説明であることは科学理論の必要条件
- 良い説明に備わる性質
- 経験則について語ることも説明で有意義となる
- 説明は「無限の始まり」か
- 用語解説
知識の由来についての議論の始まり—経験論
歴史的には、私たちが知るような実験科学をはじめて弁護したのは経験論でした。経験論の立場を取る哲学者たちは、聖職者や学者といった人間や、聖典などの古代の書物といった権威に服従することを拒否しました。また、伝承や不正確な経験則、聞き伝えを信じるといった、伝統的な知識獲得方法も否定しました。経験論はまた、「感覚は誤りの源なので無視するべき」という根深い考え方も否定しました。経験論者は新しい知識を得る方向性を志向していました。これは、あらゆる重要なことはすべて決まっていると考える中世の運命論とは対照的です。
経験論は、科学的知識の起源については間違っていましたが、哲学と科学史における偉大な一歩でした。
経験論の論理付けの試み、その失敗
しかし、経験論者は「経験したことがないものについての知識を、経験したことがあるものについての知識からいったいどうやって”導き出せる”のか?」という懐疑的な人々からの指摘には十分に答えられませんでした。
一般通念としては「繰り返し」が重視されてきました。これによれば、私たちは「同じ状況にあればかならず、その経験をする、あるいはおそらくする」という理論を「導き出す」とされています。したがって、
天体物理学が対象とするのは、私たちが空を見たときに見えるもの、ではなく、恒星とは何か、つまりその組成、光り輝く理由、形成プロセス、そして恒星形成の原因となる普遍的な物理法則です。そのほとんどは、これまでに観測されたことはありません。
帰納主義の原理と目されている「未来は過去に似ている」あるいはそれと類似の主張もまた、間違っています。
経験論は偽りの権威を生み出した
可謬主義の論理は、過去の誤解を修正しようとするだけでなく、現在は誰も疑問に感じていない、あるいは問題だと気づいていないけれども実際には誤ったアイデアを、将来的に発見して、変えたいと考えることです。限りない知識の成長の開始、すなわち無限の始まりにとっては、単なる権威の否定ではなく、可謬主義が不可欠なのです。
鍵は「権威への抵抗」か?
私たちの祖先は夜空を見上げ、星と私たちの関係を理解したいと考えたことでしょう。また、暮らしのあらゆる側面において進歩する方法を知りたいとも考えたでしょう。場合によっては、そうした宇宙レベルの基本的現象と実用レベルの進歩に関係があることに気付くこともあり、そうした中で私たちの祖先は神話を作りました。しかし、その内容は真実には似ていません。私たちの祖先は、進歩するために知識を創造したいと考えたものの、方法がわからなかったのです。
その時代が、人類の先史時代のごくはじめから数世紀前まで続きました。その後、新しくて力強い発見と説明の様式が登場し、後に「科学」と呼ばれるようになります。科学の登場は「科学革命」と呼ばれます。科学は著しい速度で知識を創造することにほぼ即座に成功し、その速度は加速し続けています。
科学革命は、「啓蒙運動」という、より幅広い知的革命の一部でした。この啓蒙運動は他の分野、とりわけ倫理学と政治哲学、社会制度において顕著な影響を及ぼしました。「啓蒙運動」は学者によってさまざまに解釈されましたが、いくつかある啓蒙運動の概念すべてに共通するのは、それが「抵抗」、特に知識に関する権威への抵抗だったことです。
知識に関する権威を否定することは、抽象的な分析の問題ではなく、進歩のための必要条件でした。というのは、啓蒙運動以前には、知りうる重要なことはすべて発見し尽くされ、古文書や伝統的な仮説といった権威ある知識の源に納められていると広く信じられていたからです。こうした知識の源は、一部に正しい知識を含んでいるものもありましたが、多くの誤りを伴うドグマという形で確立していました。したがって、進歩はこうした権威を否定する方法を学ぶことにかかっていました。世界最古のアカデミーの一つであり、1660年にロンドンに設立された王立協会が「nullius in verba(誰の言葉も権威としない)」をモットーとしたのはそのためでした。
鍵は「批判の伝統」あるいは「テスト可能性」か?
しかし、
この
ガリレオ・ガリレイ (Galileo Galilei, 1564-1642)は、おそらく実験テストの重要性をはじめて理解した人物であり、「自然の書物を読む」ことと勘違いされがちな、他の種類の実験や観測と区別しました。ガリレオは実験によるテストを、厳しい試練による吟味を意味する「チメント」と呼び、他の種類の実験や観測とは区別していました。テスト可能性は現在は科学的手法を定義づける特徴として広く受け入れられており、ポパーはこれを科学と非科学の「境界設定基準(criterion of demarcation)」と呼びました。
「テスト可能性」では不十分
科学において理論がテスト可能というだけでは十分でないのは、理論による予測が科学の目的ではないし、目的とすることもないからです。奇術を見る観客を例に考えます。観客が直面している問題は、科学的問題と論理の点でかなり似ています。いずれの場合でも、見た目がそのまま説明になっているわけではありません。奇術の説明が目で見てはっきりわかってしまえば、奇術になりません。同じように、物理現象の説明が見た目ではっきりわかるようなら、経験論は事実であり、私たちが知っている形での科学は不要となります。
奇術を何度も見れば、私たちはそのショーの結果を予想できるようになります。しかし、それはその奇術の仕組みという問題に取り組んでいません。もちろん解いてもいません。その
説明を必要としない「道具主義」という考え方
奇術の仕組みを知りたいなどと思わず、ただそれを面白がる人々もいるかもしれません。同じように、20世紀は、多くの哲学者が、そして多くの科学者も、科学には実在について何かを発見する能力はないという立場を取っていました。経験論から出発した議論は、科学が有効な形で行えるのは観測結果の予測までであり、科学はその観測結果を引き起こす実在を記述するものと称するべきではないということです。この考え方は「道具主義」と呼ばれています。
道具主義は、「説明」の存在を完全に否定します。その考え方は今でも非常に影響力があります。いくつかの分野(統計分析など)では、「説明」という言葉自体が予測を意味するようになっており、数式が一連の実験データを「説明する」という言い方をします。彼らの中では、「実在」には、その数式によって近似される「観測データ」という意味しかありません。そこには、実在そのものについて主張するための用語はなく、あるものは多分「便利なフィクション」です。
道具主義は、「実在論」を否定する数多くの考え方の一つです。
道具主義は、科学を人間の経験に関する言明に格下げするという、哲学上の大罪を犯しています。しかしそれだけでなく、その定義自体が意味をなしていません。なぜなら、純粋に予測的で、説明を必要としない理論などというものは存在しないからです。
経験則も説明を伴う
私たちがそれを知っていようといまいと、
問題=相反するアイデアを経験する状況
もともと「支えのない物体は落ちる」とか、「光には燃料が必要で、それはゼロになることがある」という予想(つまりは説明)があり、そうした予想が、星がずっと光り続け、落下することもないという、見えているものの解釈(これも説明)と矛盾しているという状況がなければ、誰も「星とは何か」という疑問を抱かなかったでしょう。この場合、間違っていたのは解釈のほうでした。実際には星は自由落下しているし、燃料も必要です。しかし、そうなる理由を発見するには、かなりの推量と批判、そしてテストが必要でした。
問題というのは、観察なしで、純粋に生じることもあります。たとえば、ある理論が、私たちが予想していなかった予測を行うという問題があります。予測は理論でもあるのです。同様に、物事の今ある状態(私たちの最善の説明に従う)が、あるべき状態(つまり、それがどうあるべきかという私たちの現行の基準に従う)と一致しない場合には、問題となります。
神話は「テスト可能な説明的理論」だ
しかしテスト可能な説明的理論でも、進歩がない状態とある状態の違いを生み出した決定的要因とはなりえません。そうした理論も、昔から一般的だったからです。古代ギリシャ神話は、季節を説明しています。
遠い昔、冥界の神であるハデスは春の女神ペルセポネを略奪して妻とした。そこでペルセポネの母である大地と農業の女神デメテルは、ペルセポネを取り戻すため、年に一度は冥界のハデスを訪れることを余儀なくさせる魔法の果実を食べさせる取り決めを行った。ペルセポネが地下の国にいる間、悲しみにくれたデメテルは、世界に対して寒くなるよう命じた。
この神話は、完全な誤りですが、季節の説明にはなっています。その説明は、冬という経験をもたらす実在について主張しています。それはまた、テスト可能だという点でも抜きんでています。デメテルが定期的に悲しむことが冬の原因なら、冬は地球のあらゆる場所で同時にやってくるはずです。したがって、デメテルが悲しみの最中にあるとされていたまさにその時期に、オーストラリアでは植物が育つ暖かな季節になることを古代ギリシャ人が知っていたら、季節についての自分たちの説明は何か間違いがあると推測したはずです。
しかし数世紀のあいだに、神話は変化したり、ほかの神話に取って代わられたりはしても、新しい神話が真実に近づくことはほとんどありませんでした。なぜでしょうか。
スカンジナビア地方の神話では、春の神フレイは寒さと暗闇の力に対して、永遠の戦いを続けており、そうしたフレイの戦況が絶えず変わることで、季節が生じるとされていました。フレイが勝てば地球が暖かくなり、負ければ寒くなるのです。
ペルセポネ神話とフレイ神話は、実際にある季節の原因について、根本的に矛盾する内容を主張しています。しかし、誰も二つの神話の長所を互いに比べたうえで、どちらかを選択したわけではないはずです。それは、二つの神話を区別する方法はないからです。どちらの神話にもある、役割を簡単に置き換えられる部分を全て無視すれば、どちらの場合にも残るのは「神々がそれを行った」という、同じ基本的な説明です。
こうした
神話は「悪い説明」だ
ペルセポネについての説明を少し変えれば、緑色の虹がかかるような季節もうまく説明できます。あるいは季節が一週間に一度めぐってきたり、規則性もなく突然起こったり、まったく起こらなかったりすることも説明できてしまいます。迷信を信じるギャンブラーや、終末論を唱える預言者も同じです。彼らは、その理論が経験によって反証されると、新しい理論に切り替えます。しかしその根底にあるのが悪い説明なので、彼らはその説明の本質を変えることなく、新しい経験を簡単に受け入れることができます。
良い説明であることは科学理論の必要条件
啓蒙運動や科学革命の先駆者たちは、直接そのように言っていませんが、良い説明を探求することは当時の時代精神でしたし、それは今でも変わりません。
良い説明は、際立って単純であるか、エレガントであることが多いものです。また、悪い説明として一般的なのは、必要以上の特性や恣意性を含む説明であり、それらを取り除けば良い説明が生まれることもあります。ここから生まれたのが、
良い説明に備わる性質
自転の傾き説は良い例です。この説はもともと、太陽の高度角が一年間で変化するのを説明するために提案されたものです。熱と回転する物体についての少しの知識を組み合わせることで、それは季節の説明になりました。さらに修正を加えなくても、季節が北半球と南半球で逆になっている理由や、熱帯地方には季節がない理由、そして極地方では夏の真夜中に太陽が輝く理由も説明しています。これら三つの現象について、自転軸の傾き説の創造者はおそらく気付いていませんでした。
経験則について語ることも説明で有意義となる
説明的でない形式の知識、たとえば経験則や、遺伝子に内在する生物学的適応のための知識のリーチについて語ることにも意味があります。しかし、それがどんな種類なのかは、なぜその経験則が通用するのかという説明がなければわかりません。
良い説明の探求が行われなかった古い時代の思潮では、誤りや誤解を修正するための、科学のようなプロセスが認められていませんでした。進歩はまれにしか起こらなかったため、ほとんどの人はそれを経験することもありませんでした。アイデアには長いあいだほとんど変化が起こりませんでした。悪い説明であれば、たとえそのなかでは最善の説明であっても、普通はリーチがほとんどなかったので、その昔からの用途以外では(ときにはそうした用途の範囲内でも)脆弱で信頼できませんでした。
説明は「無限の始まり」か
科学、より広義には私が「啓蒙運動」と呼ぶものの登場は、そうした変化のない、偏狭な思想体系の終わりの始まりだったと言えます。それによって、人間の歴史に現在の時代が始まったのです。それは、広がり続けるリーチのある知識を、持続的かつ急激に創造するという点では、他に類を見ない時代です。多くの人は、これをどこまで続けられるのか疑問に思いました。
それは、本質的に有限なのでしょうか。あるいは「無限の始まり」なのでしょうか。つまり、そうした方法には、さらなる知識創造のための無限の可能性があるのでしょうか。あるいはまた、説明という、脳のなかで生じる、見たところは取るに足らない物理的プロセスについて、宇宙的枠組みで何か重要なことがあるのでしょうか? 第3章でこの問題について考えますが、その前に第2章では理論と実在の関係について考えを述べます。
用語解説
説明(Explanation):そこにある事物と、その振る舞い、そしてその方法と理由に関する言明。
リーチ(Reach):説明がもつ、その説明が本来解こうとしていた問題を超えた問題を解ける能力。
創造力(Creativity):新しい説明をつくり出す能力。
経験論(Empiricism):われわれがあらゆる知識を感覚的経験から導出しているとする、誤った考え。
理論負荷性(Theory-laden):「ありのままの」経験などというものはない。この世界でのわれわれの経験はすべて、意識的および無意識的な解釈という層を通過してくる。
帰納主義(Inductivism):科学理論は、繰り返し得られる経験の一般化または外挿によって獲得されるのであり、ある理論が観測によって確かめられることが多いほど、その理論はより本当らしくなるとする、誤った考え。
帰納法(Induction):帰納主義における、存在しない「獲得」のプロセス。
帰納原理(Principle of induction):「未来は過去に似ている」というアイデアが、未来についてのあらゆることを主張するという誤った考え。
実在論(Realism):〔知覚できない〕物理的世界は現実に存在し、その世界についての知識も存在するという考え。
相対主義(Relativism):言明が真か偽かの判断は客観的に行うことはできず、文化的あるいは恣意的な基準との関連でのみ判断できるとする、誤った考え。
道具主義(Instrumentalism):科学は実在を記述することはできず、観測結果を予測するだけだとする、誤った考え。
正当化主義(Justificationism):知識は、何らかの権威筋または基準によって正当化されてはじめて、真正なもの、あるいは信頼できるものになりうるとする、誤った考え。
可謬主義(Fallibilism):権威ある知識の源はなく、また知識を真、あるいは確実らしいとして正当化する、信頼できる手段もないとする認識。
背景知識(Background klowledge):よく知られていて、現在は議論の余地のない知識。
経験則(Rule of thumb):純粋に予測的な理論(説明的内容がすべて背景知識からなる理論)
問題(Problem):問題は、複数の考えのあいだに矛盾が生じる場合に存在する。
良い説明/悪い説明(Good/bad explanation):説明対象とされるものの説明を続けながら、変更を加えるのが難しい/簡単な説明。
啓蒙運動(The Enlightenment):批判の伝統をもって知識を得ようとし、権威に頼る代わりに、良い説明を探求する方法(の始まり)。
小啓蒙運動(Mini-enlightenment):短命に終わった批判の伝統。
合理的(Rational):良い説明を探求することによって問題を解決しようと試みること。既存のアイデアと新しい提案の両方に対する批判を行うことによって、誤りを積極的に修正しようとすること。
西洋(The West):科学、理性、自由という啓蒙運動の価値観の周辺で育ってきた、政治、倫理、経済、知性の文化。
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書評
ドイチュの本は本当に要約するのが難しいと思います。一見、ここは削って良いかな?と思う箇所も、よく読むとユニークなことを言っており、それが全体の説明の一部になっています。要約を書くときはジェンガから恐る恐る引き抜くような気持ちになります。
さて、ドイチュは第1章『説明のリーチ』を通して、知識創造が開始された決定的要因は「良い説明」の探求であったと結論づけました。「良い説明」こそが啓蒙運動全体のキーであり、可謬主義や実験的テストや実在の基準も「良い説明の探究」から要請される帰結であると論じています。私たちが科学や哲学に出会う入り口には、かならず「問題(=相反するアイデアを経験する状況)」があるということも強調しています。経験論や正当化主義への批判、「批判の伝統」の重要性の指摘、問題の意味などの議論は、ポパーに丁寧に沿っています。
なお、2018年のインタビューにて、ドイチュは「知識(knowledge)」を「因果関係のある情報(information that has a causal power)」であると、定義を更新したと言います。この定義は、知識を、人間の意識の問題と切り離すだけでなく、明確に物理学的に定義していると言えると思います。
ドイチュの以上の明快な整理は知識論の前進だと考えますが、いかがしょうか。
その他
チメント(cimento)について。ガリレオ・ガリレイの弟子だったヴィンチェンゾ・ヴィヴィアーニ(Vincenzo Viviani)は1657年にアカデミア・デル・チメント(Accademia del Cimento)を設立しましたが、これは伝統的な論理を重視したアカデミアではなく、初の実験に基づいたアカデミアでした。当初はAccademia delee esperienzeと名付けられていましたが、1666年にAccademia del Cimentoへ改名しました。アカデミア・デル・チメントのモットーは"try and try again"(Provando e riprovando)でした。チメンターレ(cimentare)とは「金から24純金を作る」を意味する動詞だそうです。
Lorenzo Magalotti編"Essays of natural experiences made in the Accademia del Cimento"(Saggi di naturali esperienze fatte nell'Accademia del Cimento),1666 表紙
画像は https://www.facarospauls.com/apps/florence-art-and-culture/4269/accademia-del-cimento より
木本忠昭, シルヴァーナ・デ・マイオ ,「科学アカデミーの発祥」,学術の動向, 2007, 12 巻, 3号, p.78-84