現代啓蒙

気になる現代啓蒙思想をまとめます

『無限の始まり』第2章「実在に近づく」

『無限の始まり』全体目次
第1章「説明のリーチ」(The Reach of Explanations)
第2章「実在に近づく」(Closer to Reality)
第3章「われわれは口火だ」(The Spark)
第4章「進化と創造」(Creation)
第5章「抽象概念とは何か」(The Reality of Abstractions)
第6章「普遍性への飛躍」(The Jump to Universality)
第7章「人工創造力」(Artificial Creativity)
第8章「無限を望む窓」(A Window in Infinity)
第9章「楽観主義(悲観主義の終焉)」(Optimism)
第10章「ソクラテスの見た夢」(A Dream of Socrates)
第11章「多宇宙」(The Multiverse)
第12章「悪い哲学、悪い科学」(A Physicist's History of Bad Philosophy)
第13章「選択と意思決定」(Choices)
第14章「花はなぜ美しいのか」(Why are Flowers Beautiful?)
第15章「文化の進化」(The Evolution of Culture)
第16章「創造力の進化」(The Evolution of Creativity)
第17章「持続不可能(「見せかけの持続可能性」の拒否)」(Unsustainable)
第18章「始まり」(The Beginning)

 

この章は全体の中で最も短く、原書では8ページです。一章として独立させているのは、理論と実在の関係の説明がとりわけ重要だと考えてのことでしょう。ドイチュは大学院生時代の銀河観測の体験を綴りながら、「科学研究はほとんど知性を必要としない労役だ」といった評判を否定し、研究者と実在の関係について説きます。

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努力とひらめき

天文学者たちは比較的最近まで、銀河団を顕微鏡越しに観測してました。こうしたガラス乾板では、恒星や銀河は黒い形に、背景の宇宙空間は白く写っています。

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ガラス乾板のイメージ。写真は1980年にラスカンパナス天文台で撮影されたもの。 http://nautil.us/issue/32/space/these-astronomical-glass-plates-made-history

このぼやけた物体は銀河です。一方、輪郭のはっきりした点は銀河系内にある恒星で、銀河よりも何千倍も近い距離にあります。この仕分け作業は見かけよりも難しいものです。輪郭がはっきりしていない銀河などは、周縁部がどのくらいぼやけているかといったことに注意を払う必要があります。研究者は経験則でこの作業をしていました。そうした作業は現在ではコンピュータープログラムに置き換えられています。

研究者はガラス乾板をカタログ化しながら、その銀河の一つについて考えをめぐらせ、その作業でしか感じることのない奇抜なアイデアを思い浮かべることもあるでしょう。同じ作業をコンピューターが行う中では、新しいアイデアは生まれません。言い換えれば、コンピューターが何も考えずに作業を行えるからといって、その作業を科学者が行う場合にも何も考えていないということにはなりません。

トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison,1847-1931)は「私の発明には偶然生まれたものはない。満たす価値がある必要性を見出したら、私はそれが実現できるまで何回も実験を繰り返す。つまるところ、1パーセントのひらめきと99パーセントの努力なのだ」と言いましたが、彼は自らの体験を誤解しています。天体カタログを作り暗黒物質の存在を証明した天文研究者も、実験を繰り返して世紀の発明に至ったエジソンも、発見の「努力」の段階を、何も考えずに行っていたはずがありません。コンピューターとは異なり、人間は創造的で楽しい思考という方法を用います。

 

理論と実在

ガラス乾板の、非常に小さな感光剤のしみを通して、天体研究者は何を見ているのでしょうか。

私たちは銀河団のある方向の夜空をただ見上げただけでは何も見えません。望遠鏡、カメラ、写真を現像する暗室、乾板の写しを作る別のカメラ、乾板を運ぶトラック、そして顕微鏡を通すことで、私たちは銀河団を見ることができました。最近の天文学者は望遠鏡を覗くことはほとんどありません。観測機器が検出するのは目に見えない電磁波のシグナルであり、これはデジタル化されたのちコンピューターによる処理と分析がかけられます。これがグラフや図となり、天文学者の感覚に影響を与えます。日常生活から遠く離れた現象の理解が進むほど、物理的な隔絶の層は増え、結果として認知したものと実在とを関連づけるための高いレベルの理論と解釈の鎖が必要となります。

科学が出した結論は長い時間をかけて実在により忠実なものになってきました。科学による良い説明の探求は、誤りを修正し、偏見や誤解を招きやすい観点を考慮に入れ、そのギャップを埋めます。科学的な真実は、このような理論と物理的実在の対応によって構成されているのです。

天体望遠鏡に限らず、粒子加速器電子顕微鏡など、すべての観測機器は物質の配置としてはまれな状態で、かつ脆弱です。説明的理論は、私たちに、奇跡をきちんと起こせるような、科学機器の製作と操作の方法を教えてくれます。それは奇術を逆にしたようなもので、私たちの感覚は科学機器にだまされて、実際にそこにあるものを見るのです。人間は触れられるほど近くにある人工物に目を向けています。しかし、その理性は、何光年も離れたところにある、異質な物体やプロセスに向けられています。天体研究者は、本当に銀河を見ているのです。

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書評

科学機器の役割にも着目し、科学の有り様を説いた科学哲学としてはラトゥールによる議論が有名ですが、ドイチュの議論を踏まえてラトゥールに戻ると、その議論が支離滅裂だとはっきりわかります。

ラトゥールは、「科学の予言が実現しなかった」ケースが、「そのネットワークに穴が空いて駄目になった」ためだと主張します。

テクノサイエンスのもつ予言可能という性格は、ネットワークをさらに拡大する能力に完全に依存している。外部と実際に遭遇するやいなや、全くの混沌が生じる…この依存性と脆さは科学の観察者には感じられない。なぜなら、「普遍性」が物理学や生物学や数学の法則を「原理的には」いたるところに適用可能だとしているからである。「実際は」まったく違う。ボーイング747は原理的にはどこにでも着陸できると言えるだろう。しかし、実際にニューヨークの五番街に着陸させようとしてみよ。電話は原理的には普遍的につながっていると言えるだろう。サンディエゴにいる誰かに、ケニアの真ん中にいる実際は電話をもっていない人に電話をかけさせてみよ。オームの法則は原理的に普遍的に適用可能であると主張することは大変理にかなっている。電圧計と電力計と電流計なしに実際に証明してみよ…

ブルーノ・ラトゥール『科学が作られているとき』

 

ある説明がどのようなリーチを持つのかは、その説明の内容で決まります。ボーイング747と電話の例を持ち出して「普遍性が許されるのはネットワークの内部のみ」であると主張するのは、説明を一切拒否した上で成り立つ議論ですよね。「オームの法則を科学機器なしに証明してみよ」という要求に至っては実在論を否定することで生まれる発想だとしか理解できません。物理法則は普遍です。