現代啓蒙

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“The Science of Can and Can’t “デイヴィッド・ドイチュのまえがき

今後何回かに分け、キアラ・マルレット著"The Science of Can and Can’t"の紹介を書いていきます。本記事では、本書の冒頭でデイヴィッド・ドイチュが寄せたまえがきを、翻訳したものを抜粋したいと思います。

 



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この本は、世界の反実的(counterfactual)な説明を真剣に受け止めることの力について、非常に合理的で、変化に富み、愉快で人間味のある本だ。反実的説明とは、どのような物理的現象が起こり得るか、あるいは起こり得ないかについての説明のことだ。これは従来の物理学・科学の概念からは大きく逸脱している。科学理論は、これまでに起こったことを前提に、宇宙(あるいはそれに似た何か)で必ず起きることについてのみ説明できると考えている。一方で因果関係、自由意志、選択といった無形なものは、単なる心理的な小道具、あるいは神秘的なものとして否定している。また、温度、情報、計算といった実験室レベルでの必須概念は、自然を正確に記述することはできず、人間の感覚的な経験のレベルでのみ便利であるとしている。これらはどれも真実ではない。これらは、世界を理解する能力に対する恣意的な制限に過ぎず、習慣や癖によって採用されているに過ぎない。幸いなことに、日常生活でも理論的な科学でも、しばしば後ろめたさや申し訳なさを感じながらも、それらは広く無視されている。例え伝統的な概念と相入れないものがあったとしても、それは正確な科学的記述と相入れないわけではない。このような場合には従来の概念からの脱却が必要であり−「反実」が必要になる。

例えば情報について。何かが情報を保持できるのは、その状態が他の方法であり得た場合に限られる。コンピュータメモリは、その時間と共に変化する内容があらかじめ工場の出荷時に決められていたら、意味がない。ユーザーは何も保存できないのだ。また、工場をビックバンに置き換えても同じことが言える。

本書では、反実を事実と同等に基礎物理学に取り入れることがなぜ有望か、それによって世界の多くの部分に科学的な光が入れられ、世界と私たちについてのより深い理解が得られ、さらなる発見が可能になるのかが書かれている。

それだけではない。反実は、新しい説明を提供するたけでなく、新しい説明の様式の基礎となるものである。19世紀から20世紀の初頭にかけては、自然淘汰による進化、力場、曲がった時空、量子重ね合わせ、計算の普遍性など、多くの新しい科学的説明が発見されただけでなく、説明と理解の新しい様式が発明されていた。しかしここ数十年間はそれがなかった。(中略)特に基礎物理学の分野では、革新的なアイデアを探求することが少なくなり、新しい説明方法を試みることすらできなくなっている。これには、多かれ少なかれ偶然の理由もある。しかし、その結果、科学界には慎重でリスク回避の文化が生まれ、基礎的な革新よりも斬新的な革新を好み、控えめながらも予測可能な結果を出す研究を好むようになった。根本的な進歩そのものについても、悲観論や宿命論が主流となっている。

私は、物理学は「すでに低いところにぶら下がっている果実」を全て発見して、あとは堅実に機械的に収穫するだけだという人に賛同しない。私たち猿は量子論一般相対性理論といった現実の最高の理論よりも根源的なものを理解することができないという人にも賛同しない。実際には、自然に対する私たちの深い理解の中で、これほど明白な矛盾やギャップ、未解決の曖昧さがあったこともなく、ただ、それを探求するためのエキサイティングな展望もなかった。そのためには、時には根本的に異なる説明方法を採用する必要があるだろう。

“The Science of Can and Can’t”は、著者であるキアラ・マルレットと私が開拓した科学的・哲学的なアイデアに基づいた、新しい反実的な説明方法を、専門的ではない言葉で説明している。この本は、物理学をはじめとする様々な問題に対処するための新しいツールと原理を提供する。キアラ・マルレットは、次世代の原子スケールの熱機関やナノロボットだけでなく、人口知能にも影響を与える、新しく更新された自然法則のコーパスを含む、新たな理論を軽やかに、しかし確実に論じている。本書は、これらのテーマを熱心かつ正確に取り上げており、各章のノンフィクションの間には、ダグラス・ホフスタッターの『ゲーデルエッシャー・バッハ』を彷彿とさせるようなフィクションのショートストーリーを挟み、読者に考察の余地を与えながら、本のアイデアを練り上げている。

キアラの反実の国では、新しい概念(情報や知識に関する法則など)や、古い概念(仕事や熱など)が根本的に新しい方法で表現されているのがわかる。“The Science of Can and Can’t”は、あなたの世界に対する理解、そして理解そのものを豊かにしてくれるだろう。

 

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途中、少し削ったり、足したりしています。である調としたのは他のドイチュの邦訳書が全てこの書き方だったため。本文のキアラ・マルレットの文章はですます調が合っている気がします。