現代啓蒙

気になる現代啓蒙思想をまとめます

『無限の始まり』第6章「普遍性への飛躍」

『無限の始まり』全体目次 第1章「説明のリーチ」(The Reach of Explanations)
第2章「実在に近づく」(Closer to Reality)
第3章「われわれは口火だ」(The Spark)
第4章「進化と創造」(Creation)
第5章「抽象概念とは何か」(The Reality of Abstractions)
第6章「普遍性への飛躍」(The Jump to Universality)
第7章「人工創造力」(Artificial Creativity)
第8章「無限を望む窓」(A Window in Infinity)
第9章「楽観主義(悲観主義の終焉)」(Optimism)
第10章「ソクラテスの見た夢」(A Dream of Socrates)
第11章「多宇宙」(The Multiverse)
第12章「悪い哲学、悪い科学」(A Physicist's History of Bad Philosophy)
第13章「選択と意思決定」(Choices)
第14章「花はなぜ美しいのか」(Why are Flowers Beautiful?)
第15章「文化の進化」(The Evolution of Culture)
第16章「創造力の進化」(The Evolution of Creativity)
第17章「持続不可能(「見せかけの持続可能性」の拒否)」(Unsustainable)
第18章「始まり」(The Beginning)

 

前章まで、「普遍的原理」「普遍的法則」「普遍コンストラクター」と、普遍(universal)というキーワードが用いられてきました。「万能コンピューター」の万能は英語のuniversalの訳です。さまざまな実体や概念において、普遍性は、偶然に獲得されてきたというのがドイチュの主張です。これを彼は「普遍性への飛躍」と呼びます。

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文字

初期の書記体系は、単語や概念を表すのに、「象形文字」という図案化した絵を用いていました。たとえば、「」という記号は太陽を、「」は木を表すような方法です。しかし、どの書記体系も、話し言葉で使われているあらゆる単語に対応する象形文字をつくるには至りませんでした。それはなぜでしょうか?

もともと、そうする意図はありませんでした。書くことは、在庫や税金の記録といった特定用途のためのものでした。後に、新しい用途ができるにつれて、より多くの語彙が必要になりました。書記官たちは、新しい象形文字を追加するよりも、新しいルールを追加する方が簡単だということに気づいていったでしょう。たとえば、一部の書記体系では、一つの単語が二個以上の単語の連続のように聞こえる場合、そうした二個以上の単語を意味する象形文字で表すことができました。たとえば「treason(裏切り)」は「」と表すことができます。

そうした技術革新を行った後では、たとえば「treason」を意味する「」といった、新しい象形文字をつくり出す意欲は衰えたでしょう。象形文字をつくり出すのが毎回面倒な作業になりかねなかったのは、覚えやすい象形文字をデザインするのが難しかったというよりも、実際に使う前に、その新たな象形文字を読むことになるすべての人々に、何らかの方法で意味を伝える必要があるからです。これは大変です。もし簡単なことならば、そもそも何かを書く必要性などあまりなかったでしょう。象形文字ではなく、ルールを適用する場合は、はるかに効率的に物事が進みます。書記官が「」と書けば、その単語が書いてるのを見たことがない読み手でも、意味を理解できたからです。

しかしそのルールも、すべての場合に適用できるわけではありませんでした。新しい単語節の単語や、他の多くの単語を表すことができないためです。それは現在の書記体系と比べれば、使いにくく不十分に思えます。しかしその書記体系にはすでに、純粋な象形文字では得られなかった、重要なものが存在していました。明示的に追加されたことのない単語が書記体系にもたらされたのです。つまり、その書記体系にはリーチがあったのです。そしてリーチにはいつも説明が存在します。科学では、シンプルな公式一つでたくさんの事実を要約できますが、同じように、シンプルで、記憶しやすいルールは、多くの単語を書記体系に追加することが可能です。ただし、それはそのルールが基本的な規則性を反映している場合に限られます。この場合の規則性とは、任意の言語のあらゆる単語は、数十個の「基本音声」のみから構成されていること、そしてそれぞれの言語が、人間の声がつくり出せる広大な範囲の音声から選ばれた、異なる基本音声の組を用いていることです。

ある書記体系が改良された場合、ある重要な域値を超えることができました。つまり、その書記体系は、その言語にとって普遍的なものになるということです。普遍的な書記体系はその言語のあらゆる単語を表すことができます。たとえば、先ほどのルールの変種として、他の単語から単語を構築するのではなく、他の単語の語頭音から構築するというルールを考えます。英語が象形文字で書かれていると考えた場合、新しいルールでは「treason」は「Text」「Rock」「EAgle」「Nose」を表す象形文字を使ってつづることができます。ルールにこうしたわずかな変更を加えることで、書記体系は普遍性をもつようになります。初期のアルファベットは、このようなルールから進化したと考えられています。

ルールを通して得られた普遍性には、完全なリスト(仮説として考えられる象形文字の完全なリストなど)がもつ普遍性とは異なる性質があります。違いの一つは、そうしたルールは、リストに比べてずっとシンプルにできることです。それだけではありません、ルールが作用する際には、言語の規則性を使っているので、ルールはそうした規則性を暗黙裡にコード化しており、そのためリストよりも多くの知識を含んでいます。たとえば、アルファベットは、単語がどう聞こえるかについての知識を含んでいます。そのためアルファベットを使えば、外国人はその言語の話し方を身に付けられます。また、ルールを使えば接頭辞や接尾辞のような語形の変化にも、初期体系をより複雑にすることなく対応できるので、文章では、いっそう多くの文法をコード化することが可能になります。さらに、アルファベットにもとづいた書記体系は、その言語のあらゆる単語だけでなく、あらゆる可能な単語を扱えるので、その体系には、まだ作り出されていない単語がすでに存在していることになります。そうすると、単語が生まれるたびに書記体系を一時的に壊すことなく、体系自体を使い、新しい単語を簡単かつ分散的な方法でつくり出すことができます。

というより、できたはずでした。最初のアルファベットを作った無名の書記官は自分が史上最大の発見の一つをおこなっていると知っていたかもしれません。しかし、彼はおそらく知らなかったのでしょう。仮に知っていたとしても、彼はその情熱を他の多くの人に伝えられなかったのは確かです。というのも、こうした普遍性がもつ力は、たとえ利用可能だったとしても、古代においてほとんど使われなかったからです。多くの社会で象形文字を使った記述体系が発明されましたし、普遍的なアルファベットへの進化が起こることもありました。しかし、アルファベットを普遍的に使用し、象形文字を廃止するという次の「明確な」段階へ進ことはほとんどありませんでした。アルファベットは、珍しい単語を書く場合や、外国の名前を音訳する場合など、特別な用途に限定されていました。一部の歴史家は、アルファベットにもとづいた書記体系というアイデアが発明されたのは、人類の歴史上でもたった一度、フェニキア人の無名の祖先によるものだけだと考えています。彼らによれば、フェニキア人はその後、この書記体系を地中海沿岸全域に広めたので、これまでに存在したアルファベットにもとづく書記体系はすべて、このフェニキア人の書記体系に由来するか、影響を受けて作られたといいます。母音を表す文字を追加したのはギリシャ人でした。

古代の革新者たちは、自分たちが直面している具体的な問題(特定の単語を書くこと)にしか関心はありませんでした。その問題に対処するため、革新者の一人が発明したルールが、期せずして普遍的になったのです。そうした姿勢は信じがたく偏狭に思われるかもしれません。しかし当時は、偏狭な時代だったのです。

そして実際には、普遍性の達成は、たとえ目的であったとしても、主目的ではないということは、あらゆる分野の初期の歴史において繰り返し登場するテーマのようです。偏狭な目的に合わせるために、ある書記体系に小さな変更を加えたことによって、その体系はたまたま普遍的になったのです。これを「普遍性への飛躍」といいます。

 

数字

書記体系について文明の夜明けまでさかのぼったように、数字についても同じことを考えてみましょう。現在の数学者は、抽象的実体である「数」と、数を表す実際的な記号である「数字」を区別しています。先に発見されたのは数字でした。数字は、「,,,,……」のような印(タリーマーク)や、石などの代わりとなるものから進化しています。タリーマークやいしは、動物の数や日数といった、不連続な実体の数を記録するために先史時代から使われていました。柵から出したヤギ1頭につき印を1個つけ、ヤギ1頭が戻ってくるたびに印を1個消していく場合、印が全部消してあれば、ヤギはすべて柵のなかに入っていることになります。これは、「画線法」と呼ばれる、一つの普遍的な体系です。創発レベルと同様に、普遍性にも階層があります。画線法の上のレベルにあるのが数を数えることで、これには数字を使います。タリーマークとヤギをつきあわせる作業をする場合、その人は、「次、その次、その次」としか考えていません。しかしヤギの数を数える場合は、「四十、四十一、四十二……」ということが頭の中にあります。画線法を「一進法」という一つの記数法と見なすことができるというのは後から考えた話で、実際には、画線法は非実用的な記数法だと言えます。たとえばタリーマークで表した数では、数の大小を比べたり、算術計算をしたり、あるいは単に数を写したりといった簡単な操作でさえ、画線法のプロセス全体を繰り返す必要があります。あなたがヤギを40頭もっていて、20頭を売るとき、この両方をタリーマークで記録していたら、タリーマークを1個ずつ消す操作を20回行う必要があります。同じように、数の大小を調べるにも、タリーマークをつきあわせる作業が必要になります。そのため、人々は画線法の改良を始めました。はじめに行われたのはタリーマークのグループ化です。たとえば「」ではなく「」と書くということです。こうしておくと、全グループを付き合わせれば「」が「」と違うことが一目でわかるので、算術計算や比較が簡単になりました。その後、そうしたグループ自体を省略記号で表すようになりました。古代ローマの記数法では、1、5、10、50、100、500、1000を、のような記号を用いて表しています(これは現在用いられているギリシャ数字とは異なります)。

つまりこれは、偏狭な具体的な問題を解決することを意図した、漸進的な改良の別の例だと言えます。この場合も、その先の何かを目指した人はいなかったようです。シンプルなルールを追加すればこの記法はずっと強力なものになる可能性はありましたし、実際、ローマ人がいくつかルールを追加しましたが、彼らはその際、普遍性を目指すことも、実際にそれを得ることもありませんでした。何世紀ものあいだ、古代ローマの記数法では、次のようなルールが使われていました。

・記号を並べて描くと、それらを足し合わせる意味になる(画線法から受け継いだルール)

・記号は左から右へ、値の大きな順に書かなければならない

・隣り合った記号は、可能な場合はかならず、足し合わせた値を表す記号で置き換えなければならない。

現在の「ローマ数字」には、IVは4を表すという「減算則」がありますが、これは後の時代に導入されたものです。2番目と3番目のルールは、それぞれの数に対応する表記が一つだけになるようにするためのものであり、これにより数の比較が簡単になっています。こうしたルールがなければ、XIXIXIXIXIXとVXVXVXVXVはどちらも有効な数字になりますが、これらが同じ数であることは一目見ただけではわかりません。

普遍的な加算法則というルールは古代ローマの記数法に、算術計算を行う能力という、画線法にはないかなり重要なリーチを与えています。たとえば、7(VII)と8(VIII)という数字を考えます。ルールでは、記号を並べて配置する(VIIVIII)と、値の足しあわせを意味するとしています。次に、記号は値の大きな順に書く決まりなので、VVIIIIIとします。さらに、2つのVはXに、5個のIはVに置き換えます。結果はXVで、これは15の意味です。このプロセスでは、単なる省略以上の、新しい何かが起こっています。誰かが何かの数を数えたり、画線法を使ったりしなくても、7、8、15についての抽象的な真実が発見され、証明されたのです。数というものを、ほかの何かを使わず、それを表す数字を通して取り扱ったのだと言えます。

私は「算術計算を行ったのは、ローマ数字という記数法だ」ということを、文字通りの意味で言っています。もちろん、そうした数の変換を物理的に実行したのは、その記数法を使った人です。しかしそれを行うためには、その人はまず、脳のどこかにルールをコード化して、次にコンピューターがプログラムを実行するように、そのルールを実行する必要があります。そしてプログラムがコンピューターに何をすべきか指示するのであって、その逆ではありません。したがって、私たちが「ローマ数字を使って計算を行う」とするプログラムでも、ローマ数字という記数法が私たちを使って計算を行っているということになります。

人々に計算をさせることによってのみ、古代ローマの記数法は生き残ることになりました。言い換えれば、古代ローマ人の世代から世代へと、自らを複製させたのです。既に述べたように、知識というものは、適切な環境に物理的に具現化されている場合には、その状態を保つ傾向があります。

古代ローマの記数法は自らの複製と保存のために私たちをコントロールしているというと、人間を奴隷の立場に追いやっているように聞こえるかもしれません。しかしそれは誤解です。人々は抽象的な情報から構成されており、そこにはアイデアや理論、意図、感情などの「私」を特徴づける精神状態が含まれています。ローマ数字が便利だとわかっていながら、それらに「コントロール」されることに反対するのは、自分自身の意図にコントロールされることに抵抗するようなものです。私が自分を構成しているプログラムに従う場合に(あるいは私が物理法則にしがたう場合に)、「従う」という意味が意味するのは、奴隷がすることとは異なります。この二つの意味は、創発レベルの異なる出来事を説明しています。

古代ローマ数字には、通説には反して、かなり効率的なかけ算や割り算の方法もありました。そのため、XX個の木箱を積んだ船があり、それぞれの木箱には瓶がV列 × VII列に並べてあれば、時間のかかる計算作業を行わなくても、この船には合計でÐCC個の瓶があると計算できました。また、ÐCCがÐCCIよりも小さいことは一目でわかります。したがって、数の操作を、画線法や計数作業と切り離して行うことにより、価格や給料、税金、金利などの計算に使うことも可能になりました。それと同時に、将来の進歩に道を開く、概念の上での前進だったとも言えます。しかし、そうしたより高度な作業をするには、ローマ数字による記数法は普遍的ではありませんでした。ↀ(1000)よりも大きな値を表す記号がなかったので、2000以降の数字はすべて、先頭にↀがいくつも並ぶことになりました。そうするとこうした記号の列は、1000という単位でのタリーマークにすぎなくなります。

画線法を使わずに算術計算を行う唯一の方法は、普遍的なリーチをもつルールを用いることです。アルファベットと同じように、基本的なルールと記号が少数あれば十分です。現在一般的に使われている普遍的な記数法には、0から9という10個の数字があります。それが普遍的だとされるのは、ある数字の値は、その数のなかでの位置(位)によって決まるというルールがあるためです。たとえば、2という数字を単独で書いた場合には2を意味しますが、204という数のなかでは200を意味します。そうした「位取り」記数法には、「プレースホルダー」が必要になります。たとえば、204の0はプレースホルダーで、2という数字を、200を意味する位に置くという機能しかありません。

この位取り記数法はインドが起源とされていますが、いつ始まったのかは知られていません。それは遅くとも9世紀のことだと考えられます。この記数法が、科学や数学や工学、貿易の分野において非常に大きな可能性を持っていたことは、あまり広く理解されていませんでした。位取り記数法がアラブの学者に採用されたのはほぼこの時期でしたが、アラブ世界で一般的に使われるようになったのは、それから千年後のことです。普遍的なものへの熱意がこのように欠けているのは不思議ですが、そうした状況は中世ヨーロッパでも繰り返されました。ヨーロッパでも少数の学者が、10世紀にはインド生まれの数字をアラブ経由で採用していますが(その結果、「アラビア数字」という誤った名称がついた)、やはり、その数字が日常的に使われるようになったのは、数世紀後のことでした。

一方、古代バビロニア人は、紀元前1900年にはすでに、事実上普遍的な記数法にあたるものを発明していましたが、彼らもまた、その記数法の普遍性に関心がないばかりか、気づいてさえもいませんでした。それは位取り記数法でしたが、インドで考案された記数法と比べると、非常に扱いにくいものでした。それには「数字」が59個ありました。その数字はそれ自体が、ローマ数字のような記数法で書かれていました。古代バビロニアの記数法には、ゼロにあたる記号もなかったので、空白がプレースホルダーとして使われていました。連続するゼロを表す方法も、小数点に当たる記号もありませんでした(つまり、私たちの記数法で200、20、2、0.2にあたる数を書くと、すべて2になり、それらを区別するには文脈で判断するしかありませんでした)。これらから、この記数法は普遍性を主な目的としてつくられてはいなかったこと、そして普遍性が得られた場合でも、大きな評価を得られなかったことが示唆されます。

このような繰り返し起こる奇妙な性質を深く理解するには、紀元前3世紀にあった、古代ギリシャの科学者・数学者のアルキメデスが登場する有名なエピソードを考えると良いかもしれません。アルキメデスは、天文学純粋数学を研究するうえで、非常に大きな数を計算する必要が出たため、独自の記数法を発明しなければなりませんでした。アルキメデスが出発点としたのは、慣れ親しんでいた古代ギリシャの記数法でした。これは古代ローマの記数法に似ていますが、最高値を表す記号はM(10000)でした。古代ギリシャの記数法の範囲は、Mの上に書いた数字は1万倍されるというルールを採用することによって、すでに拡張されていました。たとえば、20を表す記号はΚ、4を表す記号はδだったので、24万は\overset{{\delta}{\kappa}}{M}と書けます。

たとえば、\overset{\overset{{\delta}{\kappa}}{M}}{M}が24億を意味するように、何段もある数字をつくり出せるようなルールにしてさえいれば、古代ギリシャの記数法は普遍性をもつようになっていたでしょう。しかしギリシャ人はそうしたルールを採用しなかったようです。さらに驚くべきことに、アルキメデスも採用しませんでした。彼の記数法では違ったアイデアを用いています。それは現代の「科学的記数法」(200万を{2\times10}^{6}と書く方法)に似ていましたが、10のべき乗の代わりに、1億のべき乗を使っていました。しかしアルキメデスはさらに、指数は既存のギリシャ数字でなければならないと定めました。つまり、その指数は1億をなかなか超えないということです。したがって、私たちの記数法での{10}^{800,000,000}より大きくなると、この方法はうまくいかなくなりました。アルキメデスは、指数についてのルールさえ追加していなければ、いたずらに手間はかかるけれども普遍的な記数法を手にしていたはずです。

現在でも{10}^{800,000,000}より大きな数を必要とするのは数学者くらいなものですし、それもめったにないことです。しかしアルキメデスが制約を課したのは、このことが理由とは考えられません。数という概念を探る中で、アルキメデスはその記数法をさらに拡張しましたが、今度は{10}^{800,000,000}の累乗を使うという、いっそう手に負えない記数法が生まれました。しかしこのときも、指数が800,000,000未満になるようにしたため、 10^{6.4\times10^{17}} より上のどこかに、恣意的な上限を置いたのです。

なぜでしょうか? 現在考えると、アルキメデスが自らの記数法に、どの位置でどの記号を使ってよいかということに制約を付けたのは、非常に筋が悪いように思えます。そういった制約に数学的な正当性はありません。恣意的な制約なしに自分のルールを適用できるようにするつもりがアルキメデスにあったのなら、その恣意的な制約を既存のギリシャの記数法から取り去るだけで、ずっと優れた普遍的な記数法を発明することができたのです。数年後、数学者のアポロニウスも別の記数法を発明しましたが、同じ理由で、普遍性を得られずに終わりました。それはまるで、古代の人々がみな、普遍性を意図的に避けていたかのようです。

啓蒙運動によって普遍性自体が望ましいものとされるようになった

アルキメデスやアポロニウスはインドで考案されたような記数法を本当に思いつかなかったのでしょうか? あるいはそれを避けることを選んだのでしょうか? アルキメデスは、自分が使った記数法拡張の手法(二回連続で使った手法)ならば、無制限に拡張していけることに気づいていたはずです。しかしアルキメデスは、結果として生じる数字が、正当に論ずることのできるものについて言及するとは思えなかったのかもしれません。実際、そのとき彼が取り組んでいた仕事の目的の一つは、海辺にある砂粒を本当に数えることはできないというアイデアを否定することでした(当時はこのアイデアは自明の理とされていました)。そのため、アルキメデスは自分の記数法を使い、全天球を満たすのに必要な砂粒の数を計算しています。このことが示すのは、アルキメデスだけでなく、古代ギリシャ文化では一般に、抽象的な数という概念がまったくなかった可能性があり、そのため、彼らにとって、数とは物体(想像の物体であっても)のみを指すものだったということです。それならば、普遍性を漠然とでも理解するのは難しかったでしょうし、ましてそれを目指すことなどあり得なかったでしょう。あるいはアルキメデスは、説得力のある話をするためには、無限という概念を下げる必要があると考えていただけかもしれません。いずれにしても、私たちの視点からみれば、アルキメデスの記数法は普遍性への飛躍を繰り返し「試みて」いたのですが、アルキメデスは記数法にそうしてほしくなかったようです。

さらにもっと純理論的な面の話だった可能性もあります。普遍性はすべて、どんな偏狭な問題の解決を目指していたかということを超越して、さらなる技術革新に役立つことから最大の利益を得ます。そして技術革新は予測不可能です。そのため、普遍性が発見された時点でそれを正しく認識するには、抽象的な知識自体を評価するか、普遍性には予測不可能なメリットがあることを期待するか、いずれかが必要です。変化をほとんど経験していない社会であれば、どちらの態度もかなり不自然に思えるでしょう。しかし啓蒙運動のなかではそれは逆転しました。啓蒙運動の典型的な考え方とは、既に述べたように、進歩は望ましく、かつ達成可能というものです。したがって、普遍性についても同じように考えられたのです。

啓蒙運動では、偏狭思考や、あらゆる恣意的な例外や制限は、本質的に問題があると見なされるようになりました。そしてそれは科学の世界にとどまりませんでした。法律が貴族に対して、平民とは異なる扱いをするのはなぜでしょうか? 奴隷と主人、女性と男性の扱いが違うのはなぜでしょうか? ジョン・ロックなどの啓蒙運動の哲学者たちは、政治制度を恣意的なルールや前提から開放することに乗り出しています。ほかの人々は、道徳的な格言を、自明のこととして独断的に主張するのではなく、普遍的な道徳的説明から導こうとしました。このようにして、正義や合法性、道徳についての普遍的な説明的理論が、物質や運動についての普遍的理論と並行して存在するようになりました。こうしたケースのすべてで、普遍性は、偏狭な問題を解決する手段としてだけでなく、それ自体が望ましい機能として(さらには、あるアイデアが真であるために必要な機能として)、意図的に追求されたのです。

コンピューター

普遍性への飛躍の一つで、啓蒙運動初期に重要な役割を果たしたのは、「活版印刷術」の発明でした。活版印刷で用いた可動式の活字は、金属製の部品からなっていて、その一つずつにアルファベットの一文字が浮き彫りしてあった。それ以前の印刷技術は、文書の各ページが一枚の印刷版に掘ってあり、その印刷板上のあらゆる記号を一回の作業で複写できるというものでした。それは字を書くことを単に効率化しただけであり、ローマ数字が画線法を効率化したのと変わりませんでした。しかし、それぞれの文字が何個かある可動式の活字が用意されていれば、それ以上金属板を掘る作業は必要ありません。活字を組んで単語や文章にするだけでよいのです。活字を製造するのに、その活字を使って最終的に印刷される文書の内容を理解している必要はありません。活字とは、普遍的なのです。

とはいえ、活版印刷が中国で11世紀に発明されたときには、さほど大きな変化はもたらしませんでした。よくあるように普遍性への関心がかけていたからかもしれません。あるいは中国の書記体系では数多くの象形文字を使っていたので、普遍的な印刷方式を生み出す直接的なメリットがなかったのかもしれません。しかし活版印刷は、15世紀のヨーロッパにおいて、印刷事業を行っていたヨハネス・グーテンベルグによって再発明されると、さらなる進歩を次々に引き起こすようになりました。

ここで見られるのは、普遍性への飛躍に特有の変化です。つまり飛躍の前には、それぞれの文書を印刷するたびに専用の物体をつくる必要がありますが、飛躍の後では、普遍的な物体(この場合には、可動式の活字を備えた印刷機)を必要に応じて調整する(あるいは特殊な目的に特化させたり、プログラムしたりする)ようになるということです。同じように、1801年にジョセフ・マリー・ジャカール(Joseph Marie Jacquard, 1752-1834)は、「ジャカード織機」として知られる万能絹織機を発明しています。ジャカード織機では、模様のある絹地を織る場合、生地一反ごとに一列ずつ手作業で操作する代わりに、パンチカードに任意の模様をプログラムし、その指示によって織機がその模様を何回も織ることができるようになっています。

こうしたテクノロジーとして最も重要なのが、「コンピューター」です。現在、あらゆるテクノロジーがコンピューターに頼る割合は増えています。またコンピューターには、理論や哲学の面での深い意味があります。計算の普遍性への飛躍は1820年代に起こっているはずでした。このころ、数学者のチャールズ・バベッジ(Charles Babbage, 1791-1871)は、自ら「階差機関(difference engine)」と呼ぶ装置を設計しました。これは機械式の計算機で、10通りのかみ合わせがある歯車によって十進数を表すようになっています。バベッジが階差機関を設計した本来の目的は、対数や余弦といった数学関数の表を自動生成するという、偏狭なものでした。そうした関数量は航海術や工学で良く使われていましたが、当時は「計算者(computer)」(これがコンピューターの語源)と呼ばれる大勢の作業者によって編集されていたため、誤りが非常に発生しやすい状況でした。階差機関では、算術規則が金属部品に組み込まれているため、誤りはほとんど発生しません。階差機関で任意の関数表を印刷するには、その関数の定義を簡単な演算の形で一度だけ階差機関にプログラムすればよいのです。

残念ながら、バベッジ自身と英国政府が大金を投じたにもかかわらず、バベッジはプロジェクトの運営が下手だったため、階差機関の発明にはついに成功しませんでした。

バベッジの階差機関1号機設計図

しかしバベッジの設計はしっかりしていたので(いくつか細かい間違いはありましたが)、1991年にエンジニアのドロン・スウェード(Doron Swade,1946-)が率いるチームが、この階差機関をバベッジの時代に実現不可能だった加工精度で組み立て、ロンドン科学博物館で実際に動かすことに成功しています。

バベッジの階差機関2号機

現在のコンピューターはもちろん、電卓の基準から見ても、階差機関に可能な計算の種類は非常に限られていました。しかし、とにかくそれが存在しえる根拠は、物理学や航海術、工学で使われるあらゆる数学関数には、規則性があるからです。こうした関数は「解析関数」として知られており、1710年に数学者のブルック・テイラー(Brook Taylor,1685-1731)は、解析関数がすべて、加算と積算の繰り返しだけを使って、恣意的に近似可能であることを発見しています。解析機関が行うのはそうした演算です。したがってバベッジは、それ以前は表を作成する必要があった一握りの関数を計算するという偏狭な問題を解くために、解析関数の計算用の普遍的な計算機をつくり出したのだと言えます。バベッジの階差機関に搭載された、タイプライターに似た印刷装置では、活版印刷という普遍的なテクノロジーも活用していました。それがなければ、表を印刷するプロセスを完全に自動化することはできなかったのです。

バベッジにはもともと、計算の普遍性という概念はありませんでした。それでも階差機関はすでに、その可能な計算の種類ではなく物理的構成の面で、普遍性にかなり近づいています。任意の表を印刷するように階差機関をプログラムするためには、特定の歯車を初期化します。バベッジはやがて、このプログラム作業自体を自動化できることに気づきました。ジャガード織機のように、歯車の設定をパンチカードとして準備して、歯車に機械的に転送すればよいのです。これによって、残存していた誤りの主な要因がなくなるだけではなく、その機械で可能な計算の種類も広がることになります。バベッジはその後、機械が後の計算で使う新しいパンチカードを自ら作成して、準備済みパンチカードのどれを次に読み込むかを制御できれば(つまり、歯車の位置に応じて、パンチカードの山から次に読み込むカードを選べば)、何か質的に新しいことが起こるだろうと気づきました。それが普遍性への飛躍です。

バベッジは、この改良版の機械を「解析機関(analytical engine)」と呼びました。解析機関には、人間の「計算者」にできる計算はすべて行えるということ、それには単なる算術以上のものが含まれていることを、バベッジと同僚の数学者であるラブレース伯爵夫人エイダ(Ada Lovelace,1815-1852)は理解していました。解析機関には、代数やチェス、作曲、画像の処理などが可能だったのです。それは、今では普遍的古典コンピューターと呼ばれているものにあたります(「古典」というただし書きの意味については第11章で、さらに高レベルの普遍性で動く、量子コンピューターについて議論する際に説明します)。

バベッジたちも、そしてその後100年以上は他の誰も、コンピューターの最も一般的な用途が、現在のように、インターネットや文書作成、データベース検索、ゲームになるとは想像しませんでした。しかしバベッジはもう一つの重要な用途として、コンピューターが科学的予測に使われるようになると見越していました。解析機関は、ユニバーサル・シミュレーターになるだろうと考えられました。つまり、関連する物理法則を与えれば、どんな物理的対象の振る舞いでも望みの精度で予測できるということです。これは、私が第3章で触れた普遍性です。そうした普遍性を介して考えれば、互いに似ておらず、異なる物理法則に支配されている物理的対象(たとえば脳とクエーサーなど)は、同じ数学的関係を示すことがありえます。

バベッジラブレースは、啓蒙運動の時代の人々だったので、解析機関に備わっている普遍性は、その装置を画期的なテクノロジーにするだろうと理解していました。それでも彼らは、熱心に取り組みはしましたが、自分たちの熱意の対象を一握りの人々に伝えただけで、より多くの人々に伝えられませんでした。それを伝えられた人々も、さらに別の人々に伝えることができませんでした。その結果、解析機関は、実現していたはずの悲劇的な技術の一つとして歴史に残ることになりました。バベッジらがほかの方法を求めて辺りを見回しさえすれば、継電器(電流によって制御されるスイッチ)という完璧なものがすでにあることに気づいたかもしれません。継電器は当時は電信という技術革命のために量産されようとしていました。継電器を使って解析機関を再設計していれば、バベッジの解析機関よりも高速で、安上がりに開発できる簡単なものが実現していたでしょう。そうなれば、コンピューターの革命は、実際よりも1世紀早く起こっていたかもしれませんでした。同時期に開発が進められていた、通信と印刷という技術によって、インターネット革命が後に続いたかもしれません。

人工知能

バベッジラブレースはまた、現在でも実現していない、普遍的コンピューターのある用途についても検討していました。それは「人工知能(AI)」です。人間の脳は、物理法則に従う物理的対象であり、また解析機関はユニバーサル・シミュレーターなので、人間が考えるのと同じ意味で、解析期間が考えるようにプログラムすることは可能でした(ただし速度は非常に遅く、また現実的でないほど大量のパンチカードが必要になります)。それにもかかわらず、バベッジラブレースはそうしたプログラミングができないと考えていました。ラブレースは、「解析期間には、何かを生み出そうとするところはない。それは、実行を命令する方法がわかっていることなら何でもできる。解析の道筋をたどることもできる。しかし、何らかの解析的関係や真実について予測する能力はない」と主張しています。

数学者でコンピューターのパイオニアであるアラン・チューリングAlan Turing,1912-1954)は後に、この誤りを「ラブレース伯爵夫人の反論」と呼んでいます。ラブレースが正しく評価できなかったのは、計算の普遍性ではなく、物理法則の普遍性でした。当時の科学には、脳の物理学に関する知識はほとんどありませんでした。また、ダーウィン進化論はまだ発表されていないころで、人間の本質を超自然的な面から説明することが一般的でした。現在、AIは達成不可能といまだに信じている科学者や哲学者は少数派ですが、彼らにとって気の休まる状況にはありません。たとえば、哲学者のジョン・サール(John Rogers Searle,1932-)は、AIプロジェクトを次のような歴史的視野のなかに位置付けています。

何世紀にもわたって、一部の人々は、それぞれの時代でもっとも複雑な機械をもとにしたメタファーを用いて、機械的な観点から心を説明しようとしてきた。最初は、脳は非常に複雑な歯車やレバーの集まりのようだと思われていた。その次は油圧菅で、次は蒸気機関、その次は電話交換機だとされた。コンピューターが人間にとって素晴らしいテクノロジーとなった今、脳はコンピューターであると言われている。しかし、これはまだメタファーにすぎず、脳は蒸気機関ではなくてコンピューターだと考えるべき理由はない。

とサールは言います。

しかし、そう考える理由はあるのです。蒸気機関はユニバーサル・シミューレーターではありません。しかしコンピューターはユニバーサル・シミュレーターです。そのため、ニューロンに可能なことはすべてコンピューターにも可能だと考えるのは、メタファーではありません。このことは、私たちが知る限りの物理法則の性質として、知られており、証明もされています(たまたまですが、油圧管や、歯車とレバーもー、バベッジが示したように、普遍的古典コンピューターになることができます)。

皮肉なことに、「ラブレース伯爵夫人の反論」は、還元主義についてのダグラス・ホフスタッターの主張(第5章を参照)とほとんど同じ論理です(ただし、ホフスタッターは、AIの可能性の最も熱心な支持者の一人です)。それは、二人がともに、低レベルの計算ステップを積み重ねて、あらゆるものに影響を与える高レベルの「私」にすることは不可能だという、誤った前提に立っているからです。しかし、二人が違っているのは、その誤った前提が提示するジレンマにおいて、正反対の立場を選んでいることです。ラブレース伯爵夫人が選んだのは、そのような「私」は存在しえないという誤った結論です。

普遍的古典コンピューターの誕生 

1936年に、チューリングは普遍的古典コンピューターに関する、権威ある理論を構築しました。チューリングが目指したのは、そうしたコンピューターの開発ではなく、数学的証明の性質を研究するために、その理論を抽象的に使うことだけでした。数年後に、最初の普遍的コンピューターが開発された時も、普遍性を実現しようという特別な意図はありませんでした。そのコンピューターは、第二次世界大戦中の特殊な軍事利用を目的として、英国と米国で開発されています。英国で開発された「コロッサス」コンピューター(チューリングも関与しています)は、暗号解読のために使われました。一方、米国のコンピューター「ENIAC」は、大砲の軌道計算に必要な方程式を解くために設計されています。この二つのコンピューターで使われているのは、真空管というテクノロジーでした。真空管は継電器のような機能を備えていましたが、速度は数百倍速いのです。同じころドイツでも、技術者のコントラート・ツーゼ(Konrad Zuse,1910-1995)が、継電器不要のプログラム可能な計算機を開発しています(それはバベッジが開発するはずだったものです)。この三つのマシンはどれも、普遍的コンピューターとなるのに必要な技術的特徴は備えていましたが、どれも普遍的コンピューターになるように構成されてはいませんでした。結局、コロッサスは暗号解読以外の用途で使われることなく、戦争が集結すると、ほとんど解体されてしまいました。ツーゼのマシンは連合国軍の爆撃によって破壊されました。しかしENIACは、普遍性への飛躍を許されています。戦後、ENIACは天気予報や水爆開発プロジェクトなど、本来の目的とは異なるさまざまな用途に使われたのです。

第二次世界大戦以降のエレクロトニクス技術の歴史は、より極小のスイッチを各装置に実装することによる、小型化が中心になってきました。こうした改良が、1970年ころの普遍性への飛躍につながります。このころ、いくつかの企業が別々に、マイクロプロセッサを開発しました。マイクロプロセッサは一個のシリコンチップの上に構築された普遍的古典コンピューターです。以降、あらゆる情報処理装置の設計は、マイクロプロセッサからスタートして、次にその装置に求められている特別な作業を行えるようにマイクロプロセッサを個別に修正する(つまりプログラムする)という手順で行えるようになりました。現在では、あなたの洗濯機に入っているコンピューターも、適当な入出力装置と、必要なデータを保持するのに十分なメモリ容量さえ与えられれば、洗濯ではなく、天文学計算や文書作成が行えるようにプログラム可能です。

そういった意味では(つまり、計算速度やメモリ容量、入出力装置の問題を無視すれば)、かつての人間の「計算者」から、たくさんの付属装置を備えた蒸気駆動型の解析機関、そして部屋くらいの大きさの第二次世界大戦中の真空管式コンピューター、そして現在のスーパーコンピューターまでのすべてが、計算というまったく同じ機能をもっているのは、注目に値する事実です。

 

普遍コンピューターへの飛躍の条件

こうしたマシンにもう一つ共通していたのは、すべて「デジタル」であることです。それらは、オン/オフに切り替わる電子スイッチや、10通りのなかの一つの位置を取る歯車といった、離散値を取る物理変数という形の情報にもとづいて動作しています。デジタルでないのが、計算尺のような「アナログ・コンピューター」で、これは連続的な物理変数という形式の情報を表しており、かつてはどこにでもありましたが、今ではほとんど使われていません。それは、最新のデジタル・コンピューターをプログラムすれば、あらゆるアナログ・コンピューターと同じことができるし、ほぼどんな用途でも、アナログ・コンピューターよりも優れた性能を発揮できるからです。デジタル・コンピューターにおける普遍性への飛躍によって、アナログ式の計算は取り残されたのです。それは避けられないことでした。万能アナログ・コンピューターなるものはないからです。

ユニバーサル・アナログ・コンピューターが存在しないのは、「誤差修正」が必要とされるからです。アナログ・コンピューターでは、部品の組み立て方が不適切だったり、熱変動や、ランダムな外的影響が発生したりすることから、長い時間をかけて計算するあいだに、意図していた計算経路からそれてしまいます。誤差修正が行われなければ、あらゆる情報処理プロセスは必然的に制限されます。つまり、あらゆる知識創造が制限されるということです。誤差修正は無限の始まりなのです。アナログの計算、たとえばひもを使った計算を考えます。長さの比較やひもの複製といった操作では、その操作自体が有限の精度でしか行えないので、各ステップで誤差が蓄積する確率を、その精度のレベル以下に減らすことはできません。そのため、連続して操作できる回数には、それを超えると結果が所定の目的にとって役に立たなくなる上限が課せられるのです。アナログ計算が決して普遍的にならないのはこのためです。

必要とされるのは、誤差が生じるのは当然としつつ、生じればすぐに修正するシステムです。これは情報処理の創発性の最も低いレベルにある、「問題は避けられないが、解決できる」という考え方です。しかしアナログ計算では、誤差修正は、誤りのある値と正確な値を即座に区別できないという、基本的な論理的問題にぶつかります。それは、アナログ計算の性質として、あらゆる値が正しい可能性があるからです。ひもの長さはどれも正しい長さかもしれないのです。

一方、整数だけで行う計算はそうではありません。同じひもを使って、整数を、インチ単位の整数の値を取るひもの長さとして表すことができます。計算のステップが一つ終わるごとに、結果として得られたひもを切るか、長くするかして、一番近いインチ数にすれば良いのです。そうすれば誤差は蓄積されることはありません。たとえば、測定をすべて、10分の1インチの許容誤差で行えたとします。これなら各ステップが終わるごとに、あらゆる誤差が検出され、除去されます。そのため、連続して行う計算ステップの回数に上限が課せられることはないのです。

したがって、普遍的コンピューターはすべてデジタルだと言えます。そしてすべての普遍的コンピューターが、私がたった今説明した方法と基本的な倫理の点では変わらない誤差修正の方法を用いています。たとえば、バベッジのコンピューターでは、歯車が取る角度の連続体全体に対して、10の異なる意味のみを割り当てています。角度をそのようにデジタルで表すことで、歯車が自動的に誤差修正を実行することが可能になります。各ステップの後で、歯車の角度がその10の理想的な位置からわずかでもずれていれば、すぐに一番近い位置へと修正されて、歯車はかちりとおさまります。角度の連続体全体に意味を割り当てれば、名目上は、それぞれの歯車が(非常に)多くの情報を運ぶことが可能になるでしょう。しかし実際には、確実な形で取り出せない情報は保存されないのです。

デジタルは普遍性の条件だ

幸いなことに、処理される情報はデジタルでなければならないという制約によって、デジタル・コンピューターや、物理法則の普遍性が損なわれることはありません。ヤギの群れの長さをインチ単位の整数で測定するのが特定の用途には不十分なら、10分の1インチ単位や、10億分の1インチ単位の整数を使えば良いのです。このことは、ほかのすべての用途にも言えます。物理法則では、あらゆる物理的対象(あらゆる他のコンピューターを含む)の振る舞いは、万能デジタル・コンピューターを使えば、任意の精度でシミュレーションできることになります。それは、連続的に変化する数を、十分に細かい、離散的な数のグリッドで近似するということです。誤差修正の必要性があるため、普遍性への飛躍はすべて、デジタル・システムで起こります。話し言葉で単語を構築している基本音声の数が有限なのはそのためです。発話がアナログだったら理解できないでしょう。誰かが言ったことを繰り返すことも、記憶することもできません。したがって、書記体系が声のトーンなどのアナログ情報を完璧に表現することができないのは問題ではありません。声のトーンを完璧に表現できるものはないのです。同じ理由で、音声そのものも、有限の数の意味しか表すことができません。たとえば、人間は約7通りの音量しか聞き分けられません。標準的な記譜法はその点をほぼ反映しており、音の大きさを表す記号(p,mp,fなど)はおよそ7種類あります。そして、話し手が一回の発声で、有限の数の意味しか意図できないのも同じ理由によります。

 

遺伝暗号

こうしたさまざまな普遍性への飛躍のすべては、印象的なつながりがもう一つあります。それは、そうした普遍性への飛躍がすべて地球上で起こったことです。実際に、すでに知られている普遍性への飛躍はどれも、人間のもとで生じています。ただし、例外が一つあります。それは私がまだ言及していないもので、歴史的にみれば、ほかの普遍性への飛躍はすべてこの飛躍から生じています。それは、生命進化の初期に起こった普遍性への飛躍です。

現在の生物にある遺伝子は、複雑でかなり間接的な化学的経路によって、自らを複製しています。多くの種では、遺伝子は、それとよく似た分子RNAをいくつも生成するためのひな型として機能します。次にこのRNAは、身体を構成する化学物質、特に触媒になる酵素の合成を指示するプログラムとして機能します。触媒はある種のコンストラクターです。ほかの化学物質のあいだの変化を促進しますが、それ自体は変化しないからです。こうした触媒は、生物の化学物質の生成・調整機能のすべてを制御することで、生物自体を特徴づけています。きわめて重要なのは、ここにDNAの複製をつくるプロセスが含まれることです。これほど入り組んだメカニズムがどう進化したのかという問題はここでは重要ではありませんが、話をはっきりさせるために、一つの可能性を簡単に説明します。

今から約40億年前、地球の表面が十分に冷えて、液体の水が十分凝縮できるようになったばかりのころ、海は、火山や隕石落下の衝撃、暴風雨、そして現在よりも強い潮汐作用(月との距離が近かったから)によってかき混ぜられていました。同時に、化学的にも非常に活性の高い状態にあり、多くの種類の分子がつぎつぎと形成されたり、変換されたりしていました。この反応は自然に生じる場合もあれば、触媒によって引き起こされる場合もありました。そうした触媒の一つが突然、それ自体を形成しているものとまったく同じ種類の分子の形成に触媒作用を及ぼしました。その触媒は生きてはいませんでしたが、生命の最初の兆しだったと言えます。

それは、対象を限って作用する触媒にはまだ進化していなかったので、それ自体の変種も含む、ほかの化学物質の生成も加速させました。そのなかで、ほかの化学物質と比較して、自らの生成の促進(および自らの破壊の抑制)に最も優れていた化学物質の数が多くなっていきました。これらの化学物質は同時に、自らの変種の構築も促進し、進化が続いていきました。

しだいに、そうした触媒がもつそれ自身の生成を促進する能力は、十分しっかりとして明確なものになり、自己複製子と呼べるほどになりました。自身をより素早く確実に複製されるようにする自己複製子が、進化によって生まれたのです。

さまざまな自己複製子はグループとなり、それぞれが複雑に絡み合う化学反応の一部分を引き起こすのに特化することによって、協力し合うようになりました。そして、化学反応の正味の結果として、そのグループ全体の複製がより多く構築されるようになりました。このようなグループは、初期段階の生物だと言えます。その時点での生命は、普遍的でない印刷技術や、ローマ数字とだいたい同じような段階にありました。もはやそれぞれが個別に自己複製する段階ではありませんでしたが、調整やプログラミングによって特定の物質を生成する普遍的なシステムはまだ存在していませんでした。

最も成功した自己複製子は、RNA分子だったかもしれません。RNA分子には、その構成分子(「塩基」とも言い、DNAの塩基と同じ)の細かな配列によって決まる、独自の触媒活性があります。結果として、複製プロセスは単純な触媒反応ではなくなり、プログラミングに近くなっていきました。それは、塩基をアルファベットとして使う言語、つまり遺伝子を使ったプログラミングです。

遺伝子は遺伝暗号の説明書と解釈可能な自己複製子です。一方、ゲノムは遺伝子のグループで、互いに依存して複製を行います。ゲノムを複製するプロセスが、生物にあたると考えられます。したがって遺伝暗号は生物を指定する言語でもあります。ある時点でこのシステムは、DNAでできた自己複製子へと切り替わりました。DNAはRNAよりも安定的で、大量の情報を保存するのに適しています。

次に起こった出来事は広く知られているので、それがどれほど珍しく、不可解であるかはわかりにくいこともあります。当初は、遺伝暗号と、それを解釈するメカニズムの両方が、生物にあるほかのあらゆるものと並行して進化していました。しかしある瞬間から、遺伝暗号は進化をやめましたが、システムは進化し続けました。その時点で、このシステムは原始的な単細胞生物よりも複雑なものはコードしていません。しかし実施的には、それに続く地球上のあらゆる生物は、今日まで、DNA複製子を基盤としてきただけでなく、まったく同じ塩基のアルファベットを使ってきました。こうした塩基は、三つの塩基からなる「単語」にグループ化されており、その「単語」の意味にはわずかな違いしかありません。

つまり、生物を指定する言語と考えられる遺伝暗号は、現象的なリーチを示してきたことになります。遺伝暗号は進化した結果、神経系もなく、動いたり、力を加えたりする能力もなく、内臓や感覚器官もなく、生活様式と言っても自らの構成要素を合成して、二つに分裂するだけの生物を規定しただけでした。しかし、現在ではその同じ言語が、そうした生物とは似たところのない無数の多細胞生物による、走る、飛ぶ、呼吸する、交尾する、捕食者や獲物を識別するといった振る舞いのためのハードウェアやソフトウェアを規定しています。また、羽根や歯といった工学的構造や、免疫系などのナノテクノロジー、さらにはクエーサーを説明したり、ほかの生物をゼロから設計したり、自らが存在する理由について思いをめぐらすような脳でさえも、その言語によって規定されています。

遺伝暗号は、その進化全体を通じて、はるかに狭いリーチを示していました。もしかすると、遺伝暗号の一種の変種のそれぞれが、互いに良く似た、ごくわずかの種だけを規定するために用いられたのかもしれません。いずれにしても、新しい知識を具現化した種が、遺伝暗号の新たな変種によって規定されるということは、良く起こることだったに違いありません。しかしその次に、非常に大きなリーチを獲得した時点で、進化は止まりました。なぜでしょうか? それは、何らかの普遍性への飛躍のように思えないでしょうか?

次に起こったことは、普遍性についてのほかの話で説明した、同じ悲しむべきパターンをたどっています。そのシステムは、普遍性に到達して、進化をやめた後の数十億年以上のあいだ、相変わらず細菌をつくるためだけに使われていたのです。つまり、今考えればそのシステムにあったことがわかるリーチが、先行する非生物からの進化に要した期間よりも長い年月にわたり、使われないままだったのです。仮に地球外知的生命体がその数十億年間のいずれかの時点で地球を訪れていたら、遺伝暗号にはそれが最初に登場した時に指定した生物とは大幅に異なる何かを指定できるという証拠は、まったく見当たらなかったでしょう。

リーチにはいつでも説明があります。しかしこの場合は、私が知る限り、説明はまだ見つかっていません。リーチにおける飛躍の理由が、それが普遍性への飛躍であるということだったら、普遍性とはいったい何だったのかということになります。遺伝暗号は、生命体を規定することについては普遍的ではないのかもしれません。遺伝暗号は、タンパク質といった特定種類の化学物質に依存しているからです。遺伝暗号はユニバーサル・コンストラクターなのでしょうか? そうかもしれません。それは、骨のなかのリン酸カルシウムや、ハトの脳のナビゲーション・システムに使われている磁鉄鉱のように、無機質でも何とか構築できる場合があります。生物工学の研究者はすでにそれを使って、海水から水素を製造し、ウランを抽出しています。遺伝暗号はまた、鳥が巣をつくったり、ビーバーがダムを建設したりするように、生物がその身体の外で建設作業を行うようにプログラムすることもできます。原子力宇宙船の建設がライフサイクルに含まれる生物を、遺伝暗号という形で規定することができるかもしれません。あるいは不可能かもしれません。私は、遺伝暗号の普遍性はやや劣ったもので、まだ十分に理解されていないのではないかと考えています。

1994年、コンピューター科学者で分子生物学者のレオナルド・エーデルマン(Leonard Max Adleman,1945-)は、DNAと、いくつかの簡単な酵素からできたコンピューターを設計して開発し、それがかなり複雑な計算をいくつか行えることを示しました。当時、エーデルマンのDNAコンピューターは世界最速のコンピューターとされていました。さらに、普遍的古典コンピューターを同じ方法で作れることも明らかでした。したがって、DNAシステムのほかの普遍性がどうだったにせよ、計算の普遍性もまた、エーデルマンが使うまで、何十億年間も使われることなく、DNAシステムのなかに内在していたのだとわかります。

コンストラクターとしてのDNAがもつ、この不可思議な普遍性は、実在したはじめての普遍性だった可能性があります。しかし、そうしたさまざまな形の普遍性のなかで、物理的に最も重要なのは人々がもつ特徴的な普遍性です。つまり、人々をユニバーサル・エクスプレイナーにもしているのです。普遍性の効果は、すでに説明したように、基本的説明のすべてを用いることによってのみ説明可能です。それは、その偏狭な起源を超越することのできる唯一の普遍性でもあります。普遍的コンピューターは、エネルギーを供給し、メンテナスを行う人々が永久に存在しない限り、本当に普遍的にはなりえません。そしてほかのあらゆるテクノロジーにも同じことが言えます。人間が違った決断をしない限り、地球上の生命も最終的には消え去るでしょう。人々だけが、無限の未来において、自らを頼りとできるのです。

 

用語解説

普遍性への飛躍(The jump to university):急激で大幅な機能の向上を経験するために徐々にシステムを向上させ、ある領域で普遍的なものになる傾向。

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書評

普遍性は、本書で何度も出てくる重要なキーワードです。社会システムや道徳に普遍性を求めるのは、啓蒙運動を経て十分に現代社会に慣れ親しんだ私たちにとっては当たり前ですが、それより以前、まして古代ローマ時代などに遡れば、それは自然ではなかったという指摘には膝を打ちます。数や文字、大戦期に偏狭な目的で作られたコンピューターは、どれも普遍性を持っていたにも関わらず、「人間が制限した」ためにその大半は普遍性を達成できなかった、という関係の理解も面白いと思います。私たちの身の回りで、私たちが偏狭な思考のために普遍性を制約しているものがある可能性に気付かされました。

原子力宇宙船の建設がライフサイクルに含まれる生物を規定することができるか、という問いも面白いです。そこまで極端な例を考えることで、遺伝子は普遍的かという問いに答えようとしているわけです。また、そうした限界を突き詰めた生物の可能性を考えると、遺伝子操作によって人間に必要な生物を作り出す程度のことは何ら重要な倫理的問題は無いのでは無いかと思えてきます。そこで、第3章で、ドイチュは「人間に関して一意的に重要なものは、新しい説明を生み出す能力だけ」と断言していたことを思い返します。この普遍性への飛躍を遂げたものは、宇宙のどこに由来するものであれ、人間の条件を満たしているわけです。

 

 

参考

Interview with Doron Swade MBE https://archivesit.org.uk/interviews/doron-swade-mbe/